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#20 自分を知っていく

ストレスの話、リフレッシュの話を書いてきました。
色々、日々心穏やかに過ごすための対処法を考えていく中で、自分を知ることが大切だと思っています。ご紹介した方法も、そのためのツールだと言えます。

・自分がどんなことをしていると楽しいと感じるのか。
・何をしていると、頭の中がスッキリしてくるのか。
・逆に、何だったら疲れてしまうのか。得意だけど、やると疲れてしまうことってあります。
・自分が一番生産性が高い時間帯はいつ?
・ストレスを感じるとしたら、その根本のどの部分にストレスを感じているのか。

そんなことを分かってくると、「じゃあどうしたらいいの?」という次の一手が見えてきます。

知るというのはパワフルなんです。それだけで無意識に行動が変わっていく。中でも、感受性の違い、認知の違いは、結構ストレスの原因となり得ます。

少数派の感受性、いろいろ

感覚過敏など、敏感すぎるときには、

  • 他の人は気にならないような音を、全部拾ってしまう。

  • 目に入るものが多い場所だと、全然集中できない。

  • 口の中の感覚が敏感で、例えばトンカツの衣が、刺さるようで痛くて食べられない。

  • 気にしなきゃいいようなことまで気になってしまって、そのことが気になってしまって、やるべきことができない。

などがあります。ほかにも、極度の完璧主義・自分の中で100%にしてからじゃないと次に進めないという場合や、勝ち負けへの執着が強すぎる場合も。

また、鈍感な感覚のために、刺激を本能的に求めている場合もあって、

  • 人との距離が不必要に近かったり、

  • 聴覚に問題がないのに不必要に声が大きくなりがち。

  • 誰かといつでもくっついていたかったり(肌からの刺激が欲しがる)、膝の上に乗りたがる。

  • 周りに配慮できず、失言が多い。

といったことがあります。やたらとミスをしてしまう。いつでも忘れ物をしがちということに困っている方もいるかもしれません。

皆さんは、ご自分だったりお子さんの感覚が、普通と違うな、と感じること、ありますか。生きづらさを感じること、ありましたか。

感覚の違いは、脳の違い

私には3人息子がいて、長男は典型的な忘れん坊さん。そして、姿勢が崩れたり、人との距離が近くなったりしがちです。小学校の低学年くらいまでは、不器用さから食べこぼしがひどく、食事が終わると、テーブルの上も床も、ごはんつぶの海のようになっていました。

この不器用さもそうなんですが、上に書いてきたような感覚の違い。
これは、訓練や練習でどうにかなるものではないんですよね。

脳性まひを持ちながら、医師で東京大学の教授の熊谷 晋一郎先生のお話を以前聞いたとき、印象的な言葉がありました。少しうろ覚えですが、
「僕は、頑張ろうと思ったら、2時間かけて靴下をはくことができる。
自分のこと全部自分でやることが自立だと考える人がいるけれど、頑張ればできることを2時間かけてやるよりも、誰かに助けてもらって、その2時間は別の時間に使うことができる」
みたいな内容だったと記憶しています。
苦手なことをものすごく頑張って、なんとかできるようになるより、誰か得意な人の手を借りて、自分らしくいられること、自分が得意なことに時間を使った方がいい、というのは私も同じ考えです。

けれど、親だと、ついやってしまうんですよね。
苦手な漢字を強要して、宿題やらないと遊ばせないと言ったり。ほかの子と比較して、「将来困らないように」一通りできるようにさせようとしてしまう。手を出すことは自立を阻害してしまうのではないかと思ってしまう。
自分自身も、何とか苦手なことを克服しないと幸せになれないんじゃないかと思ってしまう。

熊谷先生は、「自立とは依存先を増やすこと」と言っています。
脳性まひという分かりやすい障がいだからと思われそうですが、人と違う、色んな「苦手」があれば(私は苦手なことないよ、という人もいるかもですが)、それは人に頼っていいと思います。

苦手なことを頑張ったら克服できるとは限らない
ということを言いたいです。
息子の例で言ったら、一生懸命、きれいに食べる練習をうんとさせたところで(これは当時の担任の先生の指導でした。家でも練習するように、と)、ものすごく叱りすぎてしまって、自己肯定感が下がるだけでした。具体的にスプーンに乗せる量をこれくらい少なく、とか、口に入りやすいように食べ物を切ってみたり、試行錯誤しましたが、不器用な子に対して、キレイに食べるというゴールは、頑張って克服できるものではないのです。
不器用性は、人より時間がかかるけれど成長とともにだんだん改善されていくもの。できないことに着眼しても、訓練して改善するものではないのです。

大事なのは、「知っておく」こと。
こんな性質があるな。
ここは苦手だな。

支援をして、できるようにコツコツ練習するのは大切だけど、脳の基質でその性質があって、それは克服したり、コントロールして無理に変えさせるようなものではないこと。現状を受け入れて、で、どうしたら、その子が困らないようにいられるかを一緒に考えていくこと。
それが、本当の支援だと思うんですよね。

できないことがあっていいと思います。
できないことがあってはいけないなら、間違ったら叱られる世の中だったら、完璧な人しか存在してはいけないことになってしまいます。

できないことがあっても、それを認めて受け入れている人は、強いと思います。しなやかです。

私が特別支援を学んでいった中で、先生から繰り返し聞いた言葉は、「まずは自分を知ること」です。
子どもにかかわる仕事はもちろん、医療職やカウンセラーなどの感情をともなう仕事に従事されている方は、自分について知ることで、対応が変わってくると思います。子育てもそうですね!

発達障がいと、最近よく聞くけれど・・・

かくいう私も、母になりたての頃は、今思うととても視野が狭く、自分が正しいと思うことが正解だと思って行動していました。
子育てでうまくいかないことがでてきたり、特別支援を学んでいったりして、自分のことをだんだん知っていきました。自分のことを知り始めると、全然分かっていなかったことに気づきます。

最近よく、大人の発達障害、とか、子ども達についてグレーゾーンなどの言葉を耳にするようになりました。私が特別支援を学び始めたのは、今度中3になる息子が小学2年生だったとき。その頃は、こんなにメジャーではありませんでした。

育てにくさを感じて、学んでいった特別支援ですが、そのエッセンスは、
人間理解の教育
だということ。それに尽きます。

診断名がついても、それは特性がこうだよ、という方向性みたいなものだと思っています。結局見るのは、その子自身、その人自身がどういう人なのか。同じ診断名がついても、同じ性格や状況の人なんていません。

話が広がってきてしまいましたが、自分を知る、ということは、表面的にこういうことが好き、ということやパッと表現できる肩書きといったことから、自分はどんな性質があるか深く考えていくことまで含みます。

自分を知ると生きやすくなる

一つ私が思っていることは、自分を知れば知るほど、生きやすくなるということです。
自分が弱いことを知り、自分が無力なことを知り、多数派の人と違う部分について知り、間違えてきたことを受け入れ、それについて思いを寄せたり、あるときは外側に共有したりすることで、どんどん深まっていきます。
そして、自分とは誰か?を知っていくことは、答えがないことです。

気づくだけでいい

それから、こんな特性があると知ったら、それをどうにかしようとしないこと。もっというと、ジャッジしないことも大事だなと感じています。
つい、その性質があるために困っていたら、その性質をなくそうとしたくなります。嫌だなと感じます。嫌だと思っている自分が嫌だと思ったりもします。

けれど、それでいいんです。嫌だなと感じてる自分がいるんだな。
ああ、自分ってこういう人なんだな。
子どものことでもいいです。ああ、この子ってこうなんだな。
葛藤している自分がいたら、いったん受け入れてみます。それから考えてみる。

そんな風に思ってみると、ちょっと風景が変わって見えるかもしれません。
今日は、とりとめもなく書いてしまいました。どなたかの参考になることがあれば、幸いです。

それでは今日も、良い1日を!

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