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あれこれ話すゼミナール「生物と無生物のあいだ」~ 第1章 2023/10/14 の記録

今期のゼミナールでは、生物と無生物のあいだを読んでいます。

10/14(金曜日)は、参加者が読んできた第1章を元に、3人ずつの3つのグループに分かれて、それぞれ話をしました。

第一章は、ロックフェラー大学に留学していた 野口英世の話です。野口英世はお札になっているくらいに日本人にも有名な科学者ですが、

実は彼の発見は彼の死後、科学的には間違っていたことが明らかになっています。
 

各グループでは、やはりそういう事実がありながらも、

「なぜ野口英世がそんなに日本でお札になるように評価されているのか?」

が、話題の中心になったようでした。

それぞれのグループの感想をメモしたものを掲載します。ほとんどのことは学生さんたち自身が考えたことです。素晴らしいです。


グループ1の感想など

  1. 野口英世がその後の日本で評価されている理由
    科学的な正しさではなく、その「立身出世的なストーリー」ゆえではないか?実はそれが日本という国の文化であり、野口が日本を飛び出る理由の一つになっていたのでは?
     
    そのエピソードは、日本という場所には、文化的にも科学的に考えるということが馴染まないことを示唆するのかもしれない。
     

  2. 運が良いとはどういうことか?
    「運がよい」と言えるということは、

    チャンスがくる頻度が高い

    もしくは

    チャンスを掴んだ経験が多い

というのも、そもそも、目の前のことをチャンスとして認識できるのは、自分が多少なりとも頑張れば掴める範囲、可能な可能性、わんちゃんがある場合だけでは?

ということであれば、「その状況がチャンスだと気付くことができる」
 
ということは・・・
 
「その瞬間にチャンスを掴める 態勢をとっている」ということ
 
つまり、「運が良い」と言えるということは、「チャンスに気付きやすい」と同義と取れる。

また、チャンスに気付きやすい ということは

常に気付ける態勢をとっている ためであり、

心構えと不断の努力による準備があったため、

と考えることができるのではないか?
  
以上のことから、

貴方は運が良いですか? という問いは、

貴方は常に努力している野心家ですか?

という問いということもできるのではないだろうか。

グループ2の感想など

不幸は0かマイナスか不幸とおもう幅はどうか?
人によって幸せであることの定義が違う。

ある人は、良いことがあることが幸せ、と考え、

別の人は、悪いことがないことが幸せ と考える。

また、不幸に関することも同様で、

幸せだと感じられない状態は、イコール 不幸な状態と定義する人もいれば、

明確な悪いことが起きている状態が、不幸な状態と考える人もいる。

数直線で考えた時に、-(マイナス)を不幸とするのか、0(何もない状態)を不幸とするのかは人によって異なる、すなわち、

人によって幸せと不幸だと感じる感覚の違いは、ゼロを含むかそうでないか、すなわち、それらの感情を結びつける幅の範囲の違いにあるのではないか?

グループ3の感想など

野口英世がその後の日本で評価されている理由
野口英世が死んでいようが、その時のどのような業績があったかという点のみに基づいた評価がなされた結果。しかし、その後どのような間違いがあり、修正が施されたかについてはみな興味がなく、光が当たった部分のみで野口英世を評価する姿勢は変わっていない。

分かりやすいことが省みられることは往々にして少なく、それが本当かどうかを考えることが少ない。このような姿勢は、その分野の大御所であるサイモンフレクスナーが、ロックフェラー医学研究所に野口を研究員として受け入れたことによって、それを否定できない雰囲気ができてしまったことも原因なのでは?

ただ、日本とアメリカで大きく違うのは、間違った後の評価の違い。

日本では間違いを見ない、アメリカでは間違いを完全に覆す。

これはそれぞれの文化によるところもあるのではないか。日本人の思考は、有識者による評価に依存していることが多々あり、それは考えることに対する「ある種の諦め」のようなものを意味しているのではないかと考えられる。そのような状況では、「間違いを認め、考えを変える」ということは阻害され、結果として多数派に流される。そんな、「雰囲気による意思決定様式」が露呈する。

そういった空気に支配されている日本の文化、また多数派に流されるという日本のアカデミズムを見返そうと渡米した野口が、現在伝記として読まれ、評価されるに値する人物として見られているのは、皮肉としか言いようがない。

おわりに

野口英世の話をしていたグループもあれば、第1章を元にして、「幸せ」について話していたグループもあり、話題が全く異なり非常に面白かったです。
 
大学生であっても、当然、十分に日本という国を覆いつくす「空気」についての認識が当然あります。いったい、この「空気」という感覚はいつから身につくのでしょうか…

年上の僕が学生に対して、「そんなもんだから、大人になれ」とか「お前が言っていることは間違っている」と言い放ってしまうことは簡単ですが、「自分とは考えていることが違うけど、もしも自分がそっちの立場に立ってみたらどう考えるだろうか?」と考えて、その声に耳を傾けてみることを大事にしたいなと思っています。

先日ハマっていた「最高の教師」というドラマの中で、「学生が学校で学ぶことは、諦めではありません」という言葉がありました。まさにその通りです。

では、また次回。

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