「なぜ日本の新聞写真は心に響かないのか」のその後

11月初め、「なぜ日本の新聞写真は心に響かないのか」というnote↑で、新聞紙面での写真の使われ方への不満と改善点を思うがままに書き、フォトグラファーや新聞業界にとどまらず、想像以上の反響がありました。

もちろん、共感してくれるものもあれば、「報道写真は事実を伝えればいい」という意見もありました。ただ、賛同してくれる声が多いように感じ、「新聞の写真を変えて、もっと見てもらえる紙面にする余地がある」と希望を持てました。

一方で、noteを読んでくれた多くの人がどこかでツッコミたくなったと思います。「社外に言ってもどうしようもないでしょ。社内でちゃんと言えよ」と。私自身もちゃんと声を上げないといけないと思っていました。


でも、SNS時代って本当にすごい。
社外に発信した声が社内に届いていたんです。


毎年、どの新聞社も元日の紙面から(最近では年末から)「新しく迎える年を考える」連載を組みます。気合いを入れて人も手間も予算も少し多めです。社内では「新年企画」「新年連載」などと呼ばれてます。
社会面、経済、政治、スポーツ、文化、外報、各県版とどの面も組みます。(20年は東京五輪の年。多くの新聞が「五輪」「オリンピック」に関連した連載を組むはず。一読者としては、そこをあえてハズしてくる連載があるのか新年の各紙が楽しみ)

今年は私も加わることになりました。その打ち合わせでなんと私のnoteが話題にのぼり、共感も持ってもらった方がいて、文字を減らしてでも写真を大きくする方針になりました。

そして形になったのが12月29日朝刊から始まった、新年総合面連載の「カナリアの歌」です。昨日のプロローグに続き、今日30日朝刊も、noteで訴えたように、記事を絞って写真を破格の大きさで扱ってくれました。

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大きく扱えると「余白」部分の空もトリミングしないですむ。
真っ青なリゾート地らしい青空と、ハリケーンドリアンから3カ月たっても色濃く残る被害のあとを対照的に映し出すことができました。(言葉にすると、とたんに手前味噌になって陳腐ですね…)


年明けに続く回も、被写体の「顔」が見えることにこだわりすぎた証拠写真にならないに選びました。写真に詳しくない人でも「なんか良い感じだな」「なんか普段と違うな」と思ってもらえるような「感じ」を大事にしたつもりです。


でも「結局は単に大きくしただけじゃね?」と思われるかもしれません。
確かにそうです。たったそれだけの変化ですが、これまでのセオリーと違う前例を作ったという意味では、大事な変化だと思ってます。

多くの人が関わる新聞紙面作り。
ましてやこれまでの先達が築き上げてきた理のある常識を変えるのは思った以上に大変です。にも関わらず、いちフォトグラファーの声をくみ上げ、ライターも編集者も各部デスクも一緒にチャレンジしてくれました。素直に良い編集部だなとうれしくなりました。

社内であれ、社外であれ「声に出して訴えること」ってすごく可能性あるんだなと、いまさらSNS時代を体感しました。

多くの人に個人の声を届けるツールがちゃんと整っている幸せな時代ですね。


紙面を見てくれた方、「写真が必要以上にでかすぎだろう。その分記事を載せろ」とか、「フツーの写真なのに大きい扱いに救われたな」とかなんでも良いので、忖度なしの意見を聞かせてもらえればうれしいです。

ちなみに、「カナリアの歌」というワッペンに関してはすでに「かっこつけすぎ」「意味がすぐに分からない」などの声をすでに頂ております笑



スーパー筆遅な私なので2019年最後のnoteになると思います。

みなさま年末年始をお楽しみください。

良いお年を!