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山歩き?トレッキング?フラット登山?

私が20年前に転職をしたとき、それまでの森林土木の現場環境から、不動産的なリサーチ中心の仕事に変わりました。つまり、山には行くもののあまり歩かなくなったのです。その反動からか、「山歩き」というものを余暇にするようになりました。

「山登り」と何が違うかというと、山頂に登ることを目的・目標としないこと。近鉄で編纂している「てくてくマップ」にはだいぶお世話になりました。

鉄道会社が作成しているものなので、公共交通機関で完結するのがGood。

その後、山の売買が落ち着いて管理の方にシフトしてからは、山歩きからは遠ざかりました。山仕事を生業にしていて、休みの日まで山には行きたくないという人は結構多いものです。

今年の春頃からジャーナリストの佐々木俊尚さんが、「フラット登山」という楽しみ方を提案されていて、このnoteのシリーズを私も拝読しています。

佐々木さんはフラット登山をこう定義します。

山頂を目指す登山ではなく、都会の気軽な散歩ではなく、長大なロングトレイルでもない。歩く楽しみだけを追求する、気軽な「登らない登山」。それがフラット登山です。

私はスイスに通うようになってから、彼の国のトレッキング文化に出会い、山歩きをしていた頃を思い出しました。いずれもフラット登山と同じ方向性です。

マッターホルンに登るのではなく、眺める
開放的な牧草地と森のコントラストを楽しむ
トレッキングに充実したサインは必須
山の中にある食堂でも器に手を抜かない

スイスではトレッキング需要が観光につながり、産業としてひとつの地位を確立していて、日本でも同様の取り組みができないのかという議論がたまに起こります。六甲山地や生駒山地のような事例もあります。

しかし私自身の経験からすると、日本では不特定多数の入り込み者に対する管理責任(事故時の訴訟リスク)を、土地所有者や管理者からある程度開放しないと難しいのではと思います。

法の議論と同時に考えておきたいのが、

山(森)は楽しいけれど危険なところ。だから自己責任が原則であって、ゆえに最低限度のことは学んでおくことは、山を楽しむ自由の代わりに付与される義務である。

ということ。

そのあたりを伝えていくのも、今各地で勃興している森林環境教育が担う役割のひとつになっていくのでしょう。

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