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林業を諦めない

管理山林を有するものの、「私達はこの山では木材収穫は考えていません」「林業をするつもりはありません」「経済は期待していないので環境だけやっていきます」という企業や団体が増えてきているなあという感じがしています。

林業したところで儲からない、人口も住宅着工も減っていくのに将来性はあるのか、成長産業化と言われてもピンとこない、木を伐るより保全の方がイメージが良い、etc…

森林所有者の立場からすれば全て理解できます。現状認識として間違ってないです。

ただね…と。

現状へのアンチテーゼとして経済から環境に全振りしてしまうというのは、実は下から上までスギ・ヒノキにしてしまった過去(当時は時代背景として仕方なかったのですが)と本質的に同じことを繰り返しているだけではないのかと思うのです。

50年前の人々が今のマーケットを想像できなかったように、今の我々も50年後のマーケットやインフラがどうなっているかを予言することは不可能です。もしかするとハーベスタが空中を飛び交って、収穫不可能と言われていたところでも林業ができるようになっているかもしれません。これをSF(空想)と言い切れるのか?

だから、投入コストを減らしながらも管理目的(生産・防災・生物多様性・レクリエーション)の全ての可能性を残しておく、林業は森林管理の手段の一つである、と近自然森づくりでは考えます。これはイノベーションではなく、歴史に学びましょうという態度とも言えます。

造林のためにこれからも大きな投資をしましょうと言いたいのではありません。防災や環境保護が優先される林分の手入れでも、経済(木材としての付加価値向上)がほんのちょっとでも頭にあれば、選木(残す木と伐る木を選ぶ作業)は微妙に変わってきます。

例えば、水土保全を目的とした間伐作業があったとして、ただ30%伐りなさいと指示された林分であっても、これは将来ものになりそうだなあという立木があれば、その木の質を高めるための選木を併用することは可能です。

特別な追加コストをかけるわけでもなく、防災や生物多様性を犠牲にするのでもなく、この少しの選木の違い(意識の持ちよう)が、50年後には資産として大きな違いになっているでしょう。林業が"知的労働"と言われる所以です。

今週訪れた山で、現場の方に「いやー、選木って大事ですね!」と言っていただけたのがとても嬉しかったです。

だからこそ管理者は「この山をどうしたいのか(何を得たいのか)」を明示しないと、現場は何のために今この作業をするのかを見失ってしまいます。その戦略づくりのメソッドとしての近自然森づくりに、自分は期待しています。

こういう時代だからこそ「林業をあきらめない」ということを、これからも粘り強く言い続けていきます。

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