コロナよりも本当の脅威は国民の民度ではないか?という話

こんにちは。榎本です。
皆さん、コロナ禍ですが無事お過ごしでしょうか?

今日はこのコロナ禍で思ったマネジメント・リーダーシップそしてフォロワーシップなどの組織開発の視点もとに、コロナよりも恐ろしい脅威についてお話したいと思います。

全てのものはトレードオフという前提でのマネジメントができていない

まず最初にコロナ禍で改めて顕著になったことは、「全てのものはトレードオフ」ということです。
ネットやメディアの意見を見ていると、このトレードオフという総合的な視点がなく、一部の立場での発言が非常に多いと思います。

ロックダウンを真っ先にすべきであったり、PCR検査数をとにかく増やそうという方もそうです。

逆に、「コロナはただの風邪」という意見を持った人も同じです。

ただ現実問題必要なのは、利害対立するそれぞれの要素を踏まえてトレードオフを調整して、現実的に一番妥当な解を出すことです。これを「マネジメント」といいます。

政府の動きに関しても、批判するのは簡単ですが

・ロックダウンや緊急事態宣言をとりあえず出すべきと言うけど、経済的に困窮したり自殺する人はどうなるのか?
・医療崩壊待ったなしと出ているが、このまま感染者増加を経済を理由に増やしてしまっていいのか?
・政府の財源を求めているが、財源は間に合うのか?
・中国政府のような人権を無視したコロナ対応は成功しているが、果たして国民の理解を得られるのか?

などなどこれらの意見を総合的に見て結論を出す必要があると言えます。
正直、一方の意見だけを言って批判するのは簡単ですが、リーダーやマネージャー経験のある人は、そんなこと考慮済みで、その上でどうするのか?というのが大事なことを知っているかと思います。

正解がない中で正解を作っていくリーダーシップ

次に思ったことはコロナはまさに前例のない国難です。
当初は死亡率も非常に高く、感染率も高い恐ろしいウイルスと言われていましたが、それが当初言われていたほどでないと後々判明しました。

ここで言いたいのは、いま現時点で新しくわかった事実をもとに過去の意思決定を批判するのは簡単だと言うことです。
大前提として、その時点で不透明な中で意思決定を求められるのがリーダーです。そして、未来はその時になってみると1つに収束をしていきますが、作っていけるというスタンスもとても重要になります。

今回のコロナはまさしく国難であり、誰であっても完璧な対応はできていなかったと思いますが、この不確定な中でリーダーシップとして意思決定をしていくスタンスが日本は弱く、既得権益や変化できない社会となっているのではないか?と感じました。

当事者意識を持ち続けるフォロワーシップ

さて、マネジメントやリーダーシップの観点をお話してきましたが、自分が今最も危惧しているのはフォロワーシップ、国民の民度です。
なぜなら、当事者意識が圧倒的に欠落しているのではないか?と感じているからです。

もちろん個人の責任でできる範囲は限られていますし、愛国心を持てというわけではありません。しかし、選挙で国会議員を選んでいるのは僕たち一人ひとりですし、自分たちの責任や合意したルールの上で総理大臣は決められます

自分ごと化せずに、自分の都合に合わない状況だからとりあえず批判をしているケースが多くないでしょうか?
今回のケースは「国難」であり、果たして誰が担当していてもこの未曾有の災害を完璧な対応ができたのか?僕たちに必要なのは、愛国心はなくても、日本国民としてルールの上で運営されているならば、そこに責任を持ってどうすれば良くなるか?を一人ひとりが当事者意識を持って考えて行くことかと思います。

この当事者意識があるかないか?で、批判の内容や質は変わり、より建設的な議論ができていくと思います。

現代は全てルールとシステムで運用される社会です。それが民主主義と資本主義の本質かと思います。
封建制度や共産主義国家のように、エリートや王族が全て答えを出してくれるのではなく、全てはルールの上で「代表」としてのリーダーが選ばれているだけです。なにか不満があって代表を批判することは簡単ですが、それは合意されたルールの上での結果選ばれているに過ぎないんです。なにか諸悪の根源のようなものを求めても、それはどこにもありません。
ルールに不満があれば、ルールに則って変えることもできるからです。

コロナが教えてくれたのは、コロナ自体の脅威よりも、いかに現代社会システムが脆いのか?ということかもしれません。(もちろん、今まで最善のシステムであるとは思いますが。)

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