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【短編小説】打倒、魔王。


どんよりと曇った放課後の空。
今にも雨が降りだしそうな空気、じめっとした嫌な水曜日だった。

傘を持つのが好きではない私は、折り畳み傘もなければ置き傘だって無い。
いつもなら雨が降ったところでどうという事はない。

しかし今日だけは“濡らしたくないもの”を持っている。

こんな日に限って…。
天を睨んだところで、黒く重い雨雲が頭上から動いてくれる気配などなかった。


その日の昼休み、私は数学の教師に呼び出されていた。
午前中の小テストで酷い点をとってしまったせいで、明日の放課後に私だけ再テストをする。という死の宣告。

数学は大嫌いだった。

数式なんて興味もなければ理解もできない。というか、好きでもないものをどう取り込めというのか。皆目見当もつかない。
覚えたところで将来何の役に立つんだろう…。

足し算、引き算、掛け算、割り算。それ以上に何がいるのか?
数学ができなかったとして、困る気すらしない。

そんな風に開き直っているもんだから、授業もろくに聞いていなかった。

帰ったらゲームをしよう。
昨日は次のダンジョンの手前まで進んだから、村でアイテムを補充して、武器を強化してから潜ろう…。
先生がまた訳の分からない呪文を唱えている。あれ食らったら即死とかだったら笑うな。

そんな感じだったので当然の結果といえばその通りだ。


教室に続く廊下は重い足枷をつけられた気分だった。
明日の小テスト、一夜漬けしたってクリアできる気がしない…。

大きなため息。
それを見た隣の席の男子に笑われた。

「また0点出したんだろ」
「ほっとけ」

この相川という男。いつも先生に褒められているし、テストの成績も抜群。
優等生のあんたには私の心境なんてわからないさ…。
にやにやと笑うこいつをしばき倒してやりたいと強く願った。

「追試勉強、手伝ってやろうか?」

顔面をぶん殴って全力でお断りしたい。
本心はそう言っていたが、確かに1人で徹夜するよりも効率はいいだろう…。

心底性格の悪そうなこの男に、嫌な借りが出来てしまった。


午後の授業が全て終わると、クラスメイトたちは各々教室を去っていく。
ここがファンタジーのギルドだとしたら、パーティを組んでクエストに赴く様だと思った。
部活組はレベル上げ、バイト組は賞金稼ぎ、そして私はボス討伐の作戦会議…。

「ところでお前、なんでそんなに数学嫌いなんだよ」

机を2つ寄せて教科書とノートを開く。真っ白なノートを見た相川は呆れ返っていた。

「こんなの覚えて何の役にたつんだろ。って思ったら頭に入ってこない」

率直な意見。
笑われるかと思っていたが、相手は「なるほど」と頷いて私のノートにペンで何やら書き出す。

「ここに一匹のスライムが居ます」
「おい、お前馬鹿にしてるのか?」

真っ白だったフィールドに現れたドラクエのスライム。
ちょっと可愛いのが腹立たしい、この男は絵心もあるのか…。

「こいつを倒したら経験値が2入るとする。次のレベルに上がるのにあと26経験値を入手する必要がある。お前はスライムを何匹倒せばいい?」

「26÷2で答えは13回。そんなの小学生でも分かるでしょ」

スライムの前にお前を倒してやろうか。と悪態をつくが、相川は満足そうに笑っていた。

「でもお前が小学校で割り算を習ってなければ、この答えを出すのにきっとすごく面倒な方法と、途方も無い時間を使ったと思うよ。
こんなの無意味だって思う事でも、将来何かをする時に必要になる事があるかもしれない。
“もしもの時”に数学サボってたせいで分からない。って頭を抱えるのは嫌だろ?」

不覚にも納得。

「ダンジョンに入る前、強い敵が出てきて仲間が死んだら面倒だから、先に蘇生アイテムを購入しておく。
いつもお前が当たり前にやってる事を現実世界で置き換えたら、その蘇生アイテムのひとつがこの数式かもしれない。
そう考えたらやる気でない?」


前に一度、相川とゲームの話をしたことがあった。

新しいロールプレイングゲームの発売日、学校の近くにある書店のゲーム売り場で同じパッケージを持っていたのが発端だった。
お前もゲームとかするんだな。と言われたのが少し照れくさかったのを思い出す。

なんだか相手のペースに乗せられているようで胸の中がもやもやしたけれど、そんな風に言われると、確かに今覚えておいて損はないのかもしれない…。
まさか数学に対して前向きな気持ちになれるなんて、夢にも思わなかった。


気持ちさえ前を向けば、驚くほどスムーズに相川の授業が頭に流れ込んできた。

意地悪なやつだと思っていたのに、教え方も丁寧でわかりやすい。
私が理解するペースに合わせて次のステップへ、また次のステップへと誘う彼はまさにパーティのリーダーに相応しかった。

気がつけば6時。全校生徒に帰宅を促す放送が流れている。

一気にたくさん勉強したせいで頭がぽーっと熱い。
甘いものが飲みたくなった私は、購買部横にある自動販売機で紙コップのココアを2つ買って教室に戻った。


「今日はありがとう、わざわざこんな時間まで。相川のおかげで明日の小テストなんとかなるかもしれない」

片方を渡して、自分のココアに口をつける。
まるで回復薬。脳がほっと元気になった。

「俺は例え話をしただけで、頑張ったのはお前だ。でも明日の再テストで赤点とったら承知しないからな。」

すぐに煽る。本当にムカつく男だ。
6時半から塾があるという相川は、ココアを飲み干すと急ぎ足で教室を立ち去っていった。


《相川がパーティから離脱しました》

そんな字幕が出たことだろう。
さて、私も帰ってさっきの復習をしよう。
自然にそう思った自分自身に驚いてしまう。今日は絶対にゲームの続きをしようと心に決めていたのに…。

なんだか体が軽くなった気がする。

軽快な足取りで荷物をまとめて玄関まで出た時、鼻先に雨の匂いを感じた。
そういえば今日は夕方から雨が降ると母が言っていた気がする。帰宅時間がこんなに遅くなるとも思っていなかったし、完全に聞き流していた。

ノートの描いてもらったスライムが濡れて溶けてしまうのが嫌で、私は黒い雲が立ち込める街を走り抜けた。

さながら、魔王城へ乗り込む勇者のように。


End. 2019.05.13

3つのお題をテーマに執筆《紙コップ》《曇り空》《スライム》

物好きの投げ銭で甘いものを食べたい。