「境界線」

2人ぼっち というのは ほんとうに危ういの

乗り切れない

互いに依存し互いにこうあってほしいと自分との同化を求める

「境界線」という映画がある。2017年のアイスランド映画Netflixで観たのだが(DVDで販売はされてない)

 自他の境界線 についての哲学的な物語だと思う

孤島に旅行中にある朝目覚めると 全人類が地球上から消えており、恋人の2人だけが空っぽの世界に残される。

あなたがいれば他になにもいらない それは何不自由ない世界でこその妄言

極限状態で現実逃避しかできない青年と現実に潰されて壊れる娘

ついに見つけたもう1人の生存者である老人に青年が言う

「3人いれば大丈夫。」

老人は「いや1人と1人と1人がいるだけだ。」と

娘は「それじゃ 人間は孤独じゃないの・・・」と壊れてしまう

老人の考えが正しかろう。

並列した孤の集合体こそが人間  そんな話 タチコマの並列化の話で攻殻機動隊にも出てきた記憶がある。 スタンドアローンについてのくだりで。

愛し合うなら1人ぼっちと1人ぼっちが  孤を保ったまま「手を組む」くっつきかたをしないと。 映画でも象徴的に2人が体を寄せ合って寄りかかりあってるシーンが多い。 それだと 前に進めない 寄りかかるために愛するのは愛ではなく依存だ。

二瓶氏の「シドニアの騎士」に 掌位っていうのがある。人型ロボ、 衛人同士が手をがっちり組むことで推進力が圧倒的に増してぶっ飛べるシステム。

非常に 象徴的だと思った。 昔多かった合体じゃ重たくなって 攻撃力は多少増すんだろうけど 推進力は重くて減るし 一撃食らうと全員ダメージでしょ。

男女もそうなんじゃないすかね 合体(いやソッチの話じゃなくて)した関係でいると2人同時に死ぬ、 なんかダメージくらうと。

掌位だと推進力だけ増し パっと離れられ 回避も身軽でしやすく  2人同時には死なない 攻撃力も実は倍。

もう一度 ひとを愛することがあれば

世界なんて要らない互いがいれば なんて互いの目に映る自分を愛するような幼い恋愛ではなくて

世界を敵にまわしても相手を守れるくらい孤を互いに保った身軽な姿勢で

見つめるのは互いじゃなく同じ方向かまたは相手が見えない方角を見て補佐するような 愛し方をしたいし そんなふうに愛されたいと思うのです

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