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江副浩正が生きていた頃のリクルートは楽天に似ている。

現職創業者である江副浩正の本を読んだ。会社の本棚にあって、さすがに読んでおかないとまずいかなと思い手に取ったが、思ったよりグイグイ読めてあっというまに読んでしまった。

リクルートは創業して60年経つし、創業者から社長がかわってすでに20年ほど経っているので江副カラーはだいぶ薄まっている。私が入社してからも江副浩正という名前を聞いたことは一度もないのだが、だからこそ新鮮に感じた。「これ、楽天と一緒だな」というのがおおまかな印象だ。

何が一緒かといって、創業者の思い、アイディアでどんどんものごとが進んでいくこと。圧倒的なスピード感。若くて勢いがある時の創業社長というのはものすごい勘の冴えがあるというか、考えることすべてが当たる。「広告だけの雑誌をつくろう」から始まって、不動産、またカーセンサーなど求人広告以外の進出など。カリスマなので社内にも熱気がある。失敗は当然するんだけど社長の熱意によって推し進められる(インターネット回線貸し事業など)。まあそんなもんだよな。ここらへんの感覚はベンチャー特有だと思う。

「広告だけの雑誌を作ろう」といったときの他社員の「はあ?」みたいな反応。楽天でもしょっちゅうあったわーと感じて笑ってしまった。でも悔しいくらいに当たるんだよなー。私が楽天に入社した2010年頃は今ほど金融事業が儲かっておらず、決算説明会でアナリストに「シナジーが見えない」などとボロクソに言われていた。それが10年たたずにEC超えの事業に成長した。こういうの、ふつーの社員じゃ予測できないです。江副さんとか三木谷さんみたいな、カリスマ創業者しか見えない。それがアントレプレナーってことなんでしょう。

転機になったのはリクルート事件。その事後処理で行った株式の売却により、「裏切られた」と感じた社員が多かったみたいで、社員の心が離れた。また江副さん自身も株式を売却したにも関わらず、「リクルートはそれでも自分の会社だ」と思っていたという。やきが回ったというのか、ここから江副さんは華々しい表舞台への復帰は叶わず、最後はあっけない死を迎える。

リクルートという会社は、この事件とその後のゴタゴタで相当参ったのか、中途入社者への入社式でも「かつて世間を騒がせた我々は〜」みたいなビデオを見せるようになった。江副浩正という名前を聞くこともほぼない。特定の一人に権力を集中させることを恐れるからか、根回し、合意形成に異常な労力を注ぎ、トップですら自分の一存ではおいそれと物事を決められない。毎年行う新事業提案制度から、ボトムアップでの提案をするよう強く求める…など、反省を生かしたかのような企業文化になっているように思う。

だが個人的にはこの反応、典型的な「羹に懲りて膾を吹く」なんじゃないかなと思う。企業の社会的責任があるとはいえ、リクルートは江副浩正がいなくなった時点で解散してもよかったのかもしれない。創業者の匂いを消して完全ボトムアップ、意思決定者不在の構造に仕立て上げて、平時は安全運転だけど何か変えよう、何かしたい、という時に「誰がこれ決めるの?」「誰が決めればOKなんだっけ?」というところで止まる。今は稼ぎ頭が結構あるから特に問題にならないが、儲からない事業を潰すにしても、もうどうしようもありません!という状況にならないとなかなか決断できないという風になってしまったように見える。旧日本軍みたいに。

これがサラリーマン社長の会社の限界なのだろうか?創業者が退陣したら、もう企業としてのきらめきは終わりなのか?マイクロソフトやアップルはなんとかやっているけど、中の人の声を聞いてみたいところだな。

※楽天創業期は営業系中心にリクルートOBがけっこう来ていたようだけど、今は逆で楽天OBが活躍の場を求めてリクルートに行くようになっているみたい。(リクルートの人が今楽天に来ようとするとTOEICが壁になるのであまり来ない様子)

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