白線の内側

体育祭予行だった。

小さいグラウンドにゆがんだ白線が沢山ひかれ、それをひいたと思われる体育委員が白線を踏まないで!と叫んで呼びかけている。運動が苦手な私にとっては正直楽しいイベントではない。1学年8クラスある私の高校の生徒数はかなり多く、全員を座らせ、黙らせることもなかなか難しい。座る位置や順番をクラスを案内をしていくあいだに、もう座っているクラスがぺちゃくちゃ喋り出してしまうのだ。今回もまた然りで、暇な時間ができてしまった。砂埃を眺めていると友人が手を振っているのが見えた。最近仲良くなった彼とは、結構話をする。彼が彼のクラスの列から離れ、私の元へ走ってきた。

「おはよう」

「おはよう」

彼は隣にどかっと座り、汗ふきタオルや水筒を入れた袋のひもをいじくりながら挨拶した。

彼は、ゲイだ。

入学当初からその気さくなキャラクターと覚えられやすい名前で人気者だった。文化祭でスカートを履いてみたり、オネエ言葉を使ってみたり、色っぽい仕草をしてみせてみんなを笑わせていた。彼は「オカマ」というイメージが定着した。しかし私は彼と顔見知りですらなかった頃、彼はオカマキャラを演じている理由がわからないなと思っていた。彼はいわゆるトランスジェンダーではなくて、心は間違いなく男性だということが、彼のおもしろオカマキャラの中からにじみ出ていた。彼は、彼自身をオカマキャラ として認められて、笑われている「自分のキャラ」を「ゲイである自分自身」とは切り離して、ゲイである自分を隠していたのではないかと思っていた。そんな彼が、俺ゲイだから!と大きな声で言い出したのは最近である。

「きいて、彼とこの間デートして、すごくどきどきした。本当に俺、この人が好きなんだな〜って。でも彼は本当に俺のこと好きなのかな?俺が思っているように、ちゃんと俺のこと好きなのかな」

恋愛の話は難しい。ただのろけに付き合うことはできても、愛だのなんだのと言われると、困ってしまう。

開会式が始まっても彼はぺらぺらしゃべる。声がでかくてグラウンドでも響く。最近は片思いの年上の彼の話しかしていないし、結構同じ話を何度もしている。きっと恋する…………男も、好きな人との思い出、どきどきしたことの経験を、何度も何度も取り出して反芻するんだろう。

準備体操。体操の隊形に〜開けっ!との呼びかけもなんだか間延びしている。大半の生徒がおしゃべりしながらのろのろ隊形に移動する。彼のクラスの列は、随分と遠くに行ってしまった。そんなことには気もとめず、彼はまだまだ片思いの年上の彼について語る。

「白線」

「この白い粉さ、『触るとかゆくなる』って、小学校の頃とか脅されたよね」

「あっ、懐かしいそれ」

彼は白線をぺたぺた触る。私達はもう高校生だから、白線の白い粉で手がかゆくなったりはしないし、それを信じてもいない。

「白線の内側ってさ、どっちなんだろう」

彼の話は突然飛ぶ。

ここから見える範囲では、白線の内側というものは存在しない。白線が一本、ただ伸びているように見える。

「ここかな?それともこっち?」

白線の右側と左側を行ったり来たり、足で踏みつけている。どちらも、内側だし、外側だ。そして、どちらでもない。

「それとも、こことか」

彼は白線の上を踏んだ。

「線が消えたら体育委員の代わりに私たちが書かなくちゃいけなくなるよ」

「どうだっていいよそんなの」

「あーあ」

一本の白線はボーダーラインである。どちらか、内側か外側に行かなくちゃいけない。内側がどちら側か分からなくとも、そんなことを考えるのはお法度だ。

彼はそのままぴょんと白線の左側を歩き、

「はい、俺は男」

と宣言した。となると、私が歩いていた白線の右側は女ということか。

「じゃあ、私はここ。真ん中」

「男と女の真ん中?」

「そうだよ、私ずっと小さい頃から違和感があったの。私は男でも女でもないの」

思わず早口になって、俯いた。白線を踏む。

「あ、そうだったの?」

彼は意外 みたいな顔をしてそれだけだった。嫌悪も、馬鹿にする表情も全くしなかった。今までで一番自然な、自然すぎるくらいのカミングアウトだった。それから、予行練習をさぼって二人でいろんな話をした。片思いの年上の彼、結婚願望、性別違和感。

互いに自分の事で精一杯で、互いの話を交互にし合うような会話だったから、もちろん解決策が見つかったわけではなかったけど、彼の、ゲイであることを誇りに思い、自分の人生を正しいと認められる強さに勇気づけられた。人と違ったってどうだっていい。みんな違うに決まってる。

その後ロッカーで靴を履きながら彼は思い出したように「ミウはちゃんと、人間だよ」と言って笑った。彼は私の名前を、漢字でもなくひらがなでもなく、カタカナのような発音で呼ぶ。ロッカーにいた他の友人たちはハテナマークを浮かべていたけど、私にはわかった。

白線の右側でも左側でもない。白線の『内側』や『外側』は何となくで誰かが決めたものだから、一本の線に見える時がある。誰かが何となく決めた白線の内側を、私はちゃんと疑っていきたい。白線を踏んで消していきたい。

男でも女でもない、私はちゃんと人間だ。

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