氷の城と都内某所の廃校にて

某所で開催されたイベントへ行ってきた。イベントと言ってもそこまで規模の大きいものではない。せいぜい参加者は12人ほどで、プラス運営のボランティアの方が3人程度。廃校になった小学校の図書館を利用した会場で、いろんな話をのんびりしようではないか、という趣旨のイベントである。私は主催の団体やこのイベント自体を随分前から知ってはいたが、受験生活が予想外に長引いてしまったことなどもあって今回が初参加となった。

駅を出るとレインボーフラッグを持ったメンバーが立っていた。「こんにちは」と声をかける。名前を確認してから歩き出す。道がわかりづらいとのことで、希望の参加者には迎えが来てくれるのだ。運営スタッフさんと、取り留めのない話をして歩く。変わった名前のご飯屋さんに、今になってはもう珍しい豆腐屋さん。こんな大都会の駅前も、一本道を入るとすぐに住宅街になってしまう。『家庭料理』の看板を下げたお店や、厨房まで見渡せる、狭くて正直綺麗とはいえないお弁当屋さんがこの土地らしいような、全く似合わないような、不思議な印象を与えていた。

会場に入ると参加費を徴収され、その後名札をつくることになった。本名を書く必要は無い。「自分の呼ばれたい名前で良いです」と言われ、なんとなく、苗字に対してあまり呼ばれることのない本名を書いた。


4人程度のグループになって一つの机に座り、ジュースやお菓子を囲みながら会話をする。いくつか話題は決められていて、それについて時間を決めて話す。最初の話題は『よく知らないうちに告白するって、あり?』。

このイベントは月に1回行われていて、毎回話題も異なっているが、今回は恋愛についての話題が多かった。一目惚れして告白した経験のある人が、「今振り返ると、ナシだったと思う」と語った。あなたをもっと知りたいんです。だから、付き合ってください。というのはどうなんだろう。なぜ「付き合う」っていう形にしなくてはいけないんだろう?友達のままではだめなんだろうか。「『友達から』って無理だよね」と8年間友人関係をつづけた相手に告白した経験のある人が言う。そうなると、最初の最初から「あなたと恋人同士になりたいと思っています」と宣言してからのほうが、楽なのかもしれない。相手も、そういうふうに自分のことを見ている人に対しての態度に変わるだろうし、それが受け入れられないと思ったらそこでその関係は終わらせればいい。恋人同士なんて、法的な拘束力だとか、行政の面倒な手続きを必要とする関係ではない。ただの口約束だ。恋愛関係なんて、もっと気楽に始めて、気楽に終えていいのかもしれない。

次の話題は『自分の思う恋愛とほかの人が考える恋愛は違うと思う?』というもの。結局すべて自分が中心だから、極端に言えば「男と女の恋愛こそ恋愛であって、同性同士のものは恋愛ではなく単なる気の迷い」と考えているシスヘテロも多いのだと思う。それに対して、私にとっての恋愛、あなたにとっての恋愛、その人にとっての恋愛がある。すべて違うものなのではないかと思った。恋愛の話から、カミングアウトへと話がゆるやかに流れていった。

私は大学一年生という新しい環境の中で、自分のセクシャリティを自分で押さえつけたり隠すことをやめて、当たり前のこととして話をしていきたいと考えていた。しかし物事はそこまで簡単ではない。髪の毛を短くしている私を見て「男の子だか女の子だかわかんないなあ」と冗談っぽく笑う友達がいる。当たり前に「彼氏いるの?」と聞いてくる先輩がいる。私は毎回ただ笑ってやりすごしているだけだ。それをやめたい。しかし拒絶されるのは怖い。ましてやそれを理由に攻撃されることを考えると震えてしまう。反応に、なんとなく想像がついてしまうのも苦しい。

「ぼくはカミングアウトする気は無いんですけど、下の名前がすごい『女の子の名前』なんですよ。だから、フルネームを言うと半自動的にカミングアウトすることになっちゃう」と、くせっ毛の男の子がはにかみながら言った。彼が、戸籍上は彼女なのかもしれないと考えた。見た目や声は完全に男の子なのに、きっとまだ何かが足りなくて、『半自動的カミングアウト』をしている、させられているんだろう。なにかに。制度に。最初名札を書く時に「自分の呼ばれたい名前で良いです」と言われたのはこういうことだ。自分の心と、体と、名前がバラバラな人がいる。女の子としての自我を持ちながら、男の子の名前をつけられてしまった人がいる。その逆もしかり。戸籍の情報、戸籍上の性別や名前を変えるにはただ自分がその性別であるということを表明するだけでは足りないらしい。人によってはもちろん感じ方は異なるが、体を元通りに作り直し、性器の外形を変え切らないと戸籍は変えられない。しかし、自分の生まれたままの体で生まれた時とは異なる性別で生きていきたいと考えている人はどうなるのだろう。性器の外形は変えたいが乳房が残っているのが本人にとって自然な場合は。

彼に、彼として生きるために何が足りないのかまったく分からないけれど、自分の納得のいく名前で呼ばれることすら難しい社会制度は何のために存在しているのか、分からなくなった。彼の名札には名字だけが記されていた。


その後はフリータイムという感じで、まだ話したことのないテーブルに移動して自由にディスカッションした。金髪を後ろで束ね青のカラーコンタクトを入れた、少し近づき難い雰囲気の人が大きな声ではきはきと話し始めた。結婚制度によって『結婚したら得ることの出来る特権』が生まれ、それを行使することのできない異性カップル以外が不平等な状態になる。だから結婚制度自体がいらない。その人は同性婚に反対だと言う。『異性婚』に対しての同性婚を認めたところで、それは『異性婚』のコピーでしかない。恋愛の終着駅としての結婚ならば、それに行政が関与してくる意味がわからない。と強い言葉で語っていた。

私は半分共感しつつ、半分は共感せず、という立場でいた。結婚という法的拘束力のある、行政的でお役所的な紙切れで移ろいゆく人の心を半永久的にそのままの姿で留めておこうとするのは確かに意味が無いとは思う。しかし、現在の日本で結婚制度を利用し家族にならないと受けられない権利はたくさんある。家族が病気になっても、『書類上家族』でなければ面会は認められない。家のローンを組むにも、財産分与も、どんなに愛し合って家族であっても書類上他人であれば認められないのだ。それを思うと、私は結婚制度が男女のものだけであってはいけないと感じてしまう。たしかに『同性婚』という言葉に違和感は感じる。テレビで二人の花嫁の挙式を流せば『同性結婚式』とテロップが出る。結婚式、だけではダメですか、と感じる。Xジェンダーは同性婚も異性婚もできない、という声も理解できる。

隣にいた若者とは言えない雰囲気の男性が声をかけてきた。顔は笑っているが目の奥が冷たい。「何故この会に参加されたんですか?ぼくは教育関係の仕事をしていて、それで友人に誘われて来てみたんですけど、あなたはアレですか、あの、レズとか」好奇心を丸出しにしながらニヤニヤ笑った顔が不快だ。'レズ'という言葉の印象を初めて知る。「まあ一言では言い当てられないですけどね」と適当に笑ってごまかす。こんなところでも笑ってごまかしてしまう私は、なんなんだろう。

自分の恋愛を友達同士で語るための大きなハードル、そして円滑に会話を進めるために嘘をつかなくてはいけない現状、男の子なのに女の子の名前を持っている人のはにかみの裏の苦悩、'レズ'に性的好奇心を持っている男性、好きな人と結婚したい人全員が結婚することができるわけではない不平等な結婚制度を見て見ぬふりしている日本の社会を、都内某所の廃校になった小学校の図書館で見た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?