人だけが持つ特殊な能力
例えば、私やあなたが万物を自由自在に操れる機械や超能力を持つ者であれば誰だって生きるのに苦労はしないでしょう。
でも、私たちはきっと苦しいことも楽しいことも、いろいろ経験するために今回の人生を選んできていますよね。
だからなのか、私たち人間には、簡単に出来る可能なこと・どう頑張っても出来ない不可能なことの2つがあります。
では人に出来ることとは一体なんでしょうか。
それはきっと、機械や超能力では簡単に解決出来ない、人ならではの能力を活かしたことではないでしょうか。
そこで今日は、皆様よくご存知の「あの言葉」をテーマに筆を展開してみようと思います。
「神は細部に宿る」
私はこの言葉にとても惹かれています。
手仕事の衰退
1930年代から現在に至るまでの間に、人には随分と、出来る仕事が減ってしまったそうです。
昔は皆が工夫を重ねながら手作業でやっていた、多種多様な「手仕事」の多くを、今では当たり前に機械が台頭するようになりました。
社会全体でその影響を省みると、なるほど、確かに「便利」「効率的」「生産的」だ、と、納得もする見方もあるでしょう。
しかし、一方ではどうでしょうか。
便利さという魔法と引き換えに、この国と共に歩み文化を形成してきた「職人」という人種が淘汰されていき、都市はかつての情緒豊かな景観を失ってしまったようにも見えないでしょうか。
機械の発達により可能になった大量生産・大量消費という方法は、河川に油を流し入れ、海ではプラスチックごみがとても小さな凶器と化していきます。それは、イルカやクジラ、お魚さん達の尊い大自然の命たちを痛々しく蝕んでいきます。
便利さとは一体、何のためのものなんでしょうか。
私たちはどう生きるか
私は、地に足をつけて生きていこうと思います。
便利さとは、この地球上で人間だけが喜ぶ魔法です。
私には生きる上で必要なモノがあれば充分ですし、必要以上にモノに溢れてしまっては使い切れずゴミになります。
魔法の裏側を覗けば、そこには支配・被支配の関係性が付き纏います。
これを仏教の世界では『欲』と呼ばれています。
私は、この欲により創られた社会の中で偉くなって誰かを支配したり、お金を求めて支配されたりすることを望みません。
人と人は、自由な関係でいた方が100万倍心地良く過ごせます。
そして、全ての生き物は自然に生かされているという事実を忘れてはいけません。
私たち人は、生活に必要なものを自らの手で作り出し、ちいさなものに生命を吹き込み、この星のすべての生命と調和しながらかつては暮らしてきたのです。
私は仏教徒ですが、聖書の創世記に伝わるエデンの園のように、誰もが利害を求め合わず助け合う、慈愛に満ちた家族のような関係に、誰もが"戻る"ことが出来たら...。
それはきっと、誰もが幸せに生きる世界のように思えます。
資本主義の底はすぐそこに
現代を生きる私からすれば、永遠に続いてきたかのようにも錯覚してしまう「資本主義社会」は、もはや行き詰まっているように見えます。
地球の人類史で見れば、現在の資本主義社会という時間は、本当に一瞬の...まだたきのような短い時間に過ぎませんが、そろそろ社会全体が眼を覚ます必要があるのでしょう。
人類が皆目を覚まし、次のステージに上がるとき。
そのときに鍵となってくるであろう概念こそ、
細部に神は宿る。
かつての先人たちの暮らしに学び、小さくささいに思えるようなことにこそ、まごころを尽くし、丁寧に暮らしていきたいものですね。
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