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日常を三十一文字で切り取る短歌~七五の調べは日常を「作品」にする。

昨日参加した初心者勉強会にて、「記事を書く」お題を頂戴したので,
今日は短歌の意義について語ろうと思う。

まずは、直前に記したこちらの歌と解説でもお伝えしたのだが、短歌を詠む、という行為は、特定の事実や事象、あるいは事件を七五調の美しい調べに乗せて、三十一文字で切り取って、一つの作品として額にはめて眺めることである。

ふと感じた「いい感じ」「愛おしさ」「切なさ」時には「疑問」「怒り」でも何でも、きれいに整えて冷凍保存できるツールである。

この「きれいに」「整える」作業の過程において、その出来事や、情景は、一つの「作品」として昇華する。
どんな平凡な一日のありふれた一コマでも、どんな、魂を引き裂かれるような辛い出来事であったとしても、それは、美しい調べを持った「歌」としての命を吹き込まれた「芸術」に生まれ変わるのだ。

出来事は「物語」に、日常は「作品」に。

「作品」として七五調の額にはめて物事を「眺める」ことは、心理学的には「メタ認知」であり、ある意味「他人事」として物事を客観的に観察することが出来る。

ありとあらゆる物事を三十一文字の額縁に嵌め込んで飾って眺めるという事を、日本人は長い時間をかけてやって来たのだ。

時には恋しい想いを伝え、
時には亡くなった人を想い、
時には死に臨んで想いを残す。

実際に、私たちは古人の想いを歌の中から受け取ることが出来る。

短歌という定型詩は、冷凍保存装置でもあり、額縁でもあり、メタ認知機能でもあり、そして、タイムカプセルでもある。

今この時代にデジタルアーカイブされている短歌もたくさんあるだろう。
しかし所詮データである。全ての電源が切れた時に、すべての紙が燃え尽くした後に、最後に残るのは人から人へ直接伝わるものではないだろうか。

人が伝える故に、人の体温が、人の鼓動(リズム)が、七五調の韻律を生み、言葉に乗せられ、耳から伝わり、私たちのDNAに刻まれてきた。それが日本の和歌なのだ。

自由律の短歌も破調の俳句もある。しかしそれは、すべてをかっさらってしまうぐらいの、たとえば山頭火の、熱く強いものだろう。

私は七五調を愛する。人の温かな体温と鼓動を感じるからだ。


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