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「兵庫県南部地震」の震度について、Wikipediaを読んでみる

【はじめに】
この記事では、1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」の震度などについて、最近更新されたWikipedia の記述などで振り返っていきます。

1.兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災) について

一般に「阪神・淡路大震災」と呼ばれる地震について、気象庁は『平成7年(1995年)兵庫県南部地震」と命名しています。(「阪神・淡路大震災」と命名したのは政府です。)

そして、日本語版ウィキペディアでは、地震などによる災害については震災のページ、地震そのものについては地震のページで詳しく述べています。 これは、東日本大震災と東北地方太平洋沖地震、関東大震災と大正関東地震でも同様です。

今回取り上げたい「震度」等の地震そのものの情報は、「兵庫県南部地震」のページに詳しく載っていますので、そちらを見ていくことにします。

兵庫県南部地震は、兵庫県南部を震源として1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した地震。兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出す阪神・淡路大震災を引き起こした。日本で初めての大都市の直下を震源とする大地震で、気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震である。地震の震源は野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近で、地震により断層が大きく隆起して地表にも露出している。

なお、1996年(平成8年)9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の震度7(激震)が記録された地震で、機械計測ではなく現地調査によって震度7と判定された。1996年4月以降は、観測員の体感での震度決定ではなく、より客観的とされる機械計測での震度観測に完全移行している。

( 日本語版ウィキペディアより冒頭文引用 )

ちなみに、ここからの情報は、令和の現在とは異なる部分が幾つもありますが、多くは「阪神・淡路大震災」付近を契機に見直されたものが中心です。

2.気象庁の震度観測点における震度

震度4以上の揺れを観測した地域は以下の通り。気象庁の観測点における震度6までは計測震度計[注 4]、震度7は現地調査による。地名は当時のもの。

※[注4] 計測震度の正式導入は1996年4月以降であり、当時の計測震度は速報のための試験導入段階で、計測された震度が状況と合わない、又は震度計が故障した場合は職員が震度を判定して修正した。例:洲本。

とあり、(当時、増やし始めていた)気象庁の震度観測点における震度は、以下の通りとなっています。

更に見やすく感じるのが、気象庁の「震度データベース」です。上の図で、注釈となっている「福島県から鹿児島県の範囲で震度1以上を観測した。」という文言も、下の図では目で見て分かる形になっています。

「4」よりも「5(京都・彦根・豊岡)」が遠い現象は見られるが、ほぼ同心円状。

3.現地調査における判定震度

次に、「現地調査」における判定震度という項目から2つ図をコピペさせてもらいました。まず1つ目がこちら。

これは、気象庁の震度データベースにも掲載されている図で、日本列島地図にも左下に掲載されている図です。「現地調査による震度7の分布」というタイトルが書かれています。
そして、それを市区町村名でリストアップしたのが下の表となります。

現在は全ての震度を地震計で観測されていますが、1996年以前は体感や被害状況が入る余地がありました。更に遡れば、体感が主たる要因だったのですが、1995年当時は「体感メイン」から「計測震度メイン」に移行する過渡期でした。

当時は「家屋の30%以上が倒れ、」などと震度6・7には家屋倒壊率が数値を含んで定められていたため、気象庁の職員が現地調査を行ない「震度7」の範囲を確定させるという作業が必要となっていました。
※結果的に、震度7制定以来、この職員の現地調査によって「震度7」が公的に認められたのは、これが最初で最後の事例となりました。

図を見ると、淡路島から対岸の神戸市付近を中心に「震度7」が帯状に分布していますが、表を見ると、兵庫県内のみならず大阪府内でも「震度6」と認められた市区町村があったことが分かります。

気象官署(大阪管区気象台)では「震度4(現在の計測震度では一説によると震度5弱相当)」でしたが、大阪府(特に北部)での揺れは、震度5はあったという声が当時から聞かれていましたが、実際に気象庁によって「震度6」が推定されていた記載は、見過ごせないものだと思います。

※2018年の「大阪府北部地震」で、『大阪府で震度6弱以上の揺れを観測したのは初めて』と報じられましたが、気象庁の記者会見も含めて、やや誤解を招きかねない表現だったのではないかと感じています。

4.強震計による震度

そして、最近新たに掲載されたのが「強震計による震度」という項目です。

当時は既に「地震計」などが複数点で設置され始めていた時期であり、それらのデータを今の算式に当てはめれば、現行の震度階級が求まるはずです。そうしたアプローチで求められた値を纏めた表がWikipediaに最近アップされたのです。

少し画像が小さいので、私のnoteに文字起こしさせていただきます。

震度7
兵庫県:神戸港第8突堤・葺合供給所
震度6強
兵庫県:JR鷹取駅・JMA神戸海洋気象台・神戸駅前ビル・新神戸変電所・JR宝塚駅・本山第1小学校・西宮
震度6弱
大阪府:猪名川
兵庫県:関電総合技術研究所・ポートアイランド・東神戸大橋・神戸港工事事務所・NTT神戸・JR西明石駅・JR新神戸駅・尼崎港・六甲アイランド・竹谷小学校・尼崎高架橋・阪急六甲変電所・神戸大学

私は土地勘が無いのですが、読者の方で京阪神地方に馴染みのある方がいらっしゃれば、ここにあげた地名の位置関係や被害状況が「現在の震度階級」で再現することが可能ではないかと思います。(すでに現行震度階級で25年余りが経過していることを踏まえると、震度階級の印象の断絶というのが、ある種の誤解などを与えないかにも注意していきたいです。)

5.Rxの私感

(参考1)初期報道について

上の図も、あくまで最終的に確定した震度の分布図です。現在よりも遥かに震度の発表に時間を要した平成初頭では珍しくなかったのですが、各地の震度が報じられるまでには、今からするとかなりの時間を要しました。

震度7の速報化
地震発生当初は、神戸市および洲本市の震度6が最大震度とされていた。地震3分後の地震速報で震度の情報がテレビのニュースで報道されたのは、「震度5:京都、彦根、豊岡、震度4:岐阜…大阪…」などであり、速報では震度6は報道されなかった。
6時4分に「確実な情報ではない」と断った上で「神戸震度6」が報道された。気象庁が正式に神戸震度6と発表したのは6時18分であった。
これは当時既に気象官署の震度は機械計測で、「アデス(ADESS)」(気象資料自動編集中継装置)という専用回線で気象庁に送られる仕組みであったが、神戸海洋気象台(神戸中央区中山手)から大阪管区気象台間の回線にトラブルが生じて伝わらなかったためであった。
また、夜間無人である洲本測候所(洲本市小路谷)では地震によって震度計が壊れてしまい、地震後に駆けつけた職員が状況から震度6と判定し、気象庁が「洲本震度6」と発表したのは7時29分であった。

( 日本語版ウィキペディア : 地震後の制度見直し  )

(参考2)津波報道の難しさについて

一般的には語られることが少ないものの、兵庫県南部地震でも「津波」は発生していたと言います。気象庁(大阪管区気象台)は、地震発生後速やかに「津波による被害の心配なし」と発表していたことで、どちらかというと、特に対処すべきだった「地震災害」に結果的には注力する事が出来ました。

結果論として、一般的なM7クラスの地震に比べると津波の規模は小さかったですが、地震発生直後には全く分かりません。
速報値はMj7.2、深さ約20kmでしたから、津波注・警報が出されていても、何ら不思議はなかったと素人目には思います。
(ほぼ同規模のMj7.3だった「熊本地震(2016/4/16)」では、震源地は内陸と推定されていたものの、有明海と八代海に津波注意報が発表、「福島県浜通りの地震(2011/4/11)」では、Mj7.0で津波警報が出されました)

勿論、震源が内陸であっても震源域が海域に達していた場合、津波が発生し速やかに来襲する可能性はあります。それも踏まえての注・警報の発表かと思います。
その一方で、東日本大震災発生以降は、津波の注・警報が発表された場合、震度の大きさに関わらず、かなりの報道のウェイトが「津波に関する情報」に割かれてしまいます。
結果論としては、被害のなかった津波に時間を割かず、6,000名以上の犠牲者を出した震害にほぼ全ての時間を割いたのは適切だったと感じるとともに、今後同様の事例が起きないかが些か気になりました。


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