中田敦彦のYouTube大学「クラシック音楽史」動画をクイズで紹介(№721)

【はじめに】

この記事では、2020年5月19日「中田敦彦のYouTube大学」にアップされた『【クラシック音楽史①】世界共通の教養が身につく音楽の歴史』をもとに作成した2020年9月4日(クラシック音楽の日)のクイズを振り返ります。

「中田敦彦のYouTube大学」同様、エクストリームに「クラシック音楽史」をクイズで印象づけるのが狙いの企画(&note記事)です。

ちなみに、出題方法はすべて「ウィキペディア穴埋め」形式を取っていて、裏取りは全てウィキペディアに丸投げしています。ご了承下さい。

0.企画で出題したクイズを先に出題

【 1問目 】
今日一般的に「クラシック音楽」と称されるものは
バロック音楽、古典派音楽、ロマン派音楽に当たる
1【何】50年頃から1900年頃の音楽であるが、
それ以前のものも、それ以後のものも、
同じ流れに属する音楽は今日あわせて
クラシック音楽と呼ばれることが多い。
【 2問目 】
ある日鍛冶屋の前を通った【 誰 】は、作業場の何人かの職人が打っているハンマーの音が共鳴して、快い協和音を発していることに気が付いた。
中に入って調べてみると、ハンマーの音程は、その重量と関係があった。
【 3問目 】
グレゴリオ聖歌は、主に9世紀から10世紀にかけて、
西欧から中欧の【 何 】人の居住地域で発展し、
後に改変を受けながら伝承した。……
グレゴリオ聖歌の発展とともに教会旋法が成立し、
……8つの旋法で体系づけられることとなった。
【 4問目 】
【 誰 】は……宗教上の足跡のみならず、
ヨーロッパ文化、思想にも大きな足跡を残した。

たとえば【 誰 】の手によるドイツ語聖書が、
近代ドイツ語の成立において
重要な役割を果たしたことや、
自ら賛美歌をつくったことなどが挙げられる。
【 5問目 】
ルイ【 何 】世はバレエに魅せられ、バレエを奨励していた。……バレエが現在のようなダンスとして体系づけられたのは、彼の時代の功績である。「太陽王」の異名も、元はバレエで太陽(太陽神)に扮したことから生まれた。
【 6問目 】
【 何 】という語はポルトガル語……いびつな真珠が由来であるとされ、過剰な装飾を持つ建築を批判するための用語として18世紀に登場した。
転じて、17世紀から18世紀までの芸術一般におけるある種の様式を指す語として定着した。
【 7問目 】
【 誰 】はバロック音楽の最後尾に位置する作曲家として
それまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、
西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流である
とも捉えられ、日本の音楽教育では「音楽の父」と称された。
【 8問目 】
バッハが「音楽の父」と評されるのに対し、
日本では【 誰 】を俗に「音楽の母」と呼ぶこともあるが、
これは日本人が【 誰 】をバッハと対等の存在として位置付ける
意味で考案した呼び名であり、欧米にはこのような呼び名は存在しない。
【 8問目(詫び問) 】
誕生
「Category:1【何】85年生」も参照
・2月23日 - ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル、作曲家
・3月21日 - ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、作曲家
【 9問目 】
空欄に共通して入る“都市名”は?

盛期古典派音楽のうち【 どこ 】を中心に活動した作曲家は「【 どこ 】古典派」の名前でも知られている。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン等が有名である。
【 10問目 】
【 誰 】は、古典派を代表するオーストリアの作曲家。……
数多くの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれている。……彼は30年近くもの間エステルハージ家で働き、数多くの作品を作曲した。
【 11問目 】
父・レオポルト・モーツァルトは、……息子が天才であることを見出し、幼少時から音楽教育を与えた。3歳のときからチェンバロを弾き始め、5歳のときには最初の作曲を行う(アンダンテ ハ長調 【何】. 1a)。
【 12問目 】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ドイツの作曲家、ピアニスト。
音楽史上極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつ【 何 】派音楽の先駆けとされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた。

如何でしたか? それぞれの問題の答えは、これから発表していきます!

1.そもそもクラシック音楽って?

動画内でも、『そもそもクラシック音楽って何?』から授業が始まりましたが、私のクイズ企画でも1問目はその部分から入りました。
中田さんは動画の中で、参考書籍を元に『18~19世紀のヨーロッパ音楽』と語っていましたが、ウィキペディアではどのように定義しているでしょう?

【 1問目 】
今日一般的に「クラシック音楽」と称されるものは
バロック音楽、古典派音楽、ロマン派音楽に当たる
1【何】50年頃から1900年頃の音楽であるが、
それ以前のものも、それ以後のものも、
同じ流れに属する音楽は今日あわせて
クラシック音楽と呼ばれることが多い。

【 正解 】1550年

日本で言えばキリスト教伝来(1549年)、世界で言えばルネサンス期の終盤といった頃でしょうか。細かい部分は、専門の記事に譲るとしても、見方によってここまで対象時期が違うんだということを押さえておきましょう。

画像1

2.古代の音楽

もちろん、獣の皮を着て石などで音を奏でていた時代の音楽を、我々は普通「クラシック音楽」だとは認識しません。(あっちゃんの仰るとおり)
では、どこらへんから古楽なるものは始まるのか云々。

古代の音楽とは初期音楽の時代の始まりとされている5世紀以前の音楽をさす。さらに古代音楽は先史時代の音楽と分けて考えられることもある。

古代の音楽といっても、その言葉で意味される音楽は種類も地域もさまざまである(メソポタミア、エジプト、ペルシア、インド、中国、日本、ギリシア、ローマなど)。古代音楽は、単純な音程と音階という特徴を持ち、口承または文字によって伝えられた。

『中田敦彦のYouTube大学』では、最早お馴染みとなった『古代ギリシア』のあの人物について、2問目に出題します。

【 2問目 】
ある日鍛冶屋の前を通った【 誰 】は、作業場の何人かの職人が打っているハンマーの音が共鳴して、快い協和音を発していることに気が付いた。
中に入って調べてみると、ハンマーの音程は、その重量と関係があった。

【 正解 】ピタゴラス

細かい数字や、その他の科学的な逸話は、ウィキペディアに譲るとしても、この『気づき』はひょっとすると小学生の自由研究などでもありそうな位、初歩的でありながら本質に迫るものではなかったかと思います。
楽器の調律であるとか、楽典・記譜法等全ての根本に当たる概念でしょう。

画像2

紀元前6世紀から紀元6世紀に飛び、舞台はギリシアから、キリスト教世界となった時代です。

3.中世の音楽

【 3問目 】
グレゴリオ聖歌は、主に9世紀から10世紀にかけて、
西欧から中欧の【 何 】人の居住地域で発展し、
後に改変を受けながら伝承した。……
グレゴリオ聖歌の発展とともに教会旋法が成立し、
……8つの旋法で体系づけられることとなった。

【 正解 】フランク人

キリスト教×ゲルマン人『カール大帝』の話は、YouTube大学の『世界史』の動画で、その意義・重要性を熱弁していますので、そちらをご覧下さい。

さてその『グレゴリオ聖歌』ですが、どんな音楽だったのか、ここで1曲。

(現代の音源をもってきましたが、)非常に『おごそか』な感じがします。

ちなみに、『教会旋法』を活用した楽曲として、作曲家・田中公平先生が、「題名のない音楽会」で例示していた『創聖のアクエリオン』もご紹介。

4.近世の音楽

【 4問目 】
【 誰 】は……宗教上の足跡のみならず、
ヨーロッパ文化、思想にも大きな足跡を残した。

たとえば【 誰 】の手によるドイツ語聖書が、
近代ドイツ語の成立において
重要な役割を果たしたことや、
自ら賛美歌をつくったことなどが挙げられる。

【 正解 】マルティン・ルター

小中学校の社会科の授業でも教わる宗教改革のマルティン・ルターの時代。活版印刷技術によって『聖書』だけでなく『楽譜』も普及していくことで、『聖書』同様『音楽』も、少しずつラテン語の読めない庶民に浸透していくこととなったそうです。

5.太陽王とオペラ

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【 5問目 】
ルイ【 何 】世はバレエに魅せられ、バレエを奨励していた。……バレエが現在のようなダンスとして体系づけられたのは、彼の時代の功績である。「太陽王」の異名も、元はバレエで太陽(太陽神)に扮したことから生まれた。

【 正解 】ルイ14世

『太陽王』というのも小中学校の社会科で習って覚えがあるのですが、何故『太陽王』と渾名されていたのか、作問して調べるまで知りませんでした。

正に絢爛豪華な時代、宗教音楽から王族・貴族による音楽への移ろいです。

そして、ここからが中田さんの動画的には『クラシック音楽』の本題です。時代を大きく3つに分けてエクストリームに紹介していますが、まずはその1つめの時代について、折り返しの6問目で出題しています。

6.バロック音楽の時代

【 6問目 】
【 何 】という語はポルトガル語……いびつな真珠が由来であるとされ、過剰な装飾を持つ建築を批判するための用語として18世紀に登場した。
転じて、17世紀から18世紀までの芸術一般におけるある種の様式を指す語として定着した。

【 正解 】バロック

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ただ美しく高貴な「真珠」なのではなく、敢えて『いびつな真珠』と揶揄を込めて命名されたのが、近世『バロック』時代です。
ちょうど絶対王政の時代、賛美歌→オペラへの時代だったのだそうです。

7.勤勉な音楽の父:バッハ

いわゆる『バロック』な時代の代表的な作曲家といえば、この方の印象。

画像5

【 7問目 】
【 誰 】はバロック音楽の最後尾に位置する作曲家として
それまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、
西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流である
とも捉えられ、日本の音楽教育では「音楽の父」と称された。

【 正解 】ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

動画内では『G線上のアリア』が選ばれていたバッハですが、個人的には、幼少期から馴染んでいる『主よ人の望みの喜びよ』がお気に入りだったり。

中田さん曰くの「今北産業」
・勤勉な「音楽の父」(●●の父シリーズ)
・ひたすら教会で作曲、その数なんと1,000曲以上
・後にロマン派時代に再評価(メンデルスゾーン)

そして、中田さん曰く
『バッハは、バロック音楽っぽいかというとそうではないらしい。』
むしろバッハは、少し前の『宗教音楽』的なイメージに近い感じ。

イタリアとかフランスのオペラ・カルチャーなバロック音楽
っぽいのはむしろ、次の問題であげるこの方なんだそうです。

8.駆け抜けたビジネスマン(音楽の母):ヘンデル

【 8問目 】
バッハが「音楽の父」と評されるのに対し、
日本では【 誰 】を俗に「音楽の母」と呼ぶこともあるが、
これは日本人が【 誰 】をバッハと対等の存在として位置付ける
意味で考案した呼び名であり、欧米にはこのような呼び名は存在しない。

【 正解 】ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

(注)本編出題時は空欄し忘れがあってノーカン。本稿では修正済。

動画内では『ハレルヤ』がBGMとして流れてたヘンデルですが、個人的には学生時代に聞いた『水上の音楽』の印象が強かったりもします。

中田さん曰く、『駆け抜けたビジネスマン(で、儲けた)』とのこと。

『音楽の父』と『音楽の母』として並び称される2人の作曲家ですが、実はこんな共通点があったりもするんです。詫び問としての8問目’。

【 8問目(詫び問) 】
誕生
「Category:1【何】85年生」も参照
・2月23日 - ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル、作曲家
・3月21日 - ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、作曲家

【 正解 】1685年

ウィキペディアの記法に慣れていない方は面食らうかも知れませんが、要するに、ヘンデルとバッハは『同い年』だということを言いたかったのです。(ただどうやら生前、直接の絡みは無かった様ですが。)

9.古典派音楽の時代

そこから少し時代は下って、いよいよ超メジャーな作曲家達が登場します。

【 9問目 】
空欄に共通して入る“都市名”は?

盛期古典派音楽のうち【 どこ 】を中心に活動した作曲家は「【 どこ 】古典派」の名前でも知られている。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン等が有名である。

【 正解 】ウィーン

オーストリア・ウィーンが「音楽の都」、「楽都」と異名を取る所以です。非常に著名なモーツァルトやベートーヴェン等は、クラシック音楽を3つに分けた2番目「古典派音楽」の時代に当たります。

あっちゃんも、嫌なのは『古典なのに一番古いんじゃないところ(バロックに次ぐ2番目)』というのには思わず笑ってしまいましたww

10.召使い上がりの苦労人(交響曲の父):ハイドン

先ほどの問題をちゃんと覚えていらっしゃる方にとっては、(少なくとも)実質3択という問題です。バッハに次ぐ『◯◯の父』シリーズ2問目です。

【 10問目 】
【 誰 】は、古典派を代表するオーストリアの作曲家。……
数多くの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれている。……彼は30年近くもの間エステルハージ家で働き、数多くの作品を作曲した。

【 正解 】フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
『召使い上がりの苦労人』で、29~58歳まで30年間、宮廷音楽家目指しての下積み生活。1790年代になると、『召使い』生活から脱し、イギリス訪問で大成功、オックスフォード大学からは名誉博士号を授与されたそう。(あっちゃんの上記動画より)

『神よ、皇帝フランツを守り給え』は、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国の国歌に選ばれました。オラトリオでは『天地創造』『四季』などが著名。

11.早熟の天才:モーツァルト

その遅咲きの作曲家・ハイドンをして『最も偉大な音楽家』(動画のホワイトボードから転載)と思わしめた神童に関する問題です。

【 11問目 】
父・レオポルト・モーツァルトは、……息子が天才であることを見出し、幼少時から音楽教育を与えた。3歳のときからチェンバロを弾き始め、5歳のときには最初の作曲を行う(アンダンテ ハ長調 【何】. 1a)。

【 正解 】K(ケッヘル番号)

年齢は親子ほど離れていたのに、(クラシック音楽史において珍しい程に)偉大な作曲家同士で仲が良かったというモーツァルトとハイドン。しかし、1791年、ハイドンが活躍する直前に、モーツァルトは35歳の若さで亡くなりました。

ちなみに、モーツァルトのウィキペディアのページには、『代表的な作品』という箇所があるんですが、挙げられている楽曲数は実に30。ケッヘル番号が一般に626までとされる中で、有名な楽曲がこれだけ多いということは、本当に偉大で早逝な作曲家だったことを物語っています。

12.古典派のヒーロー:ベートーヴェン

そんなモーツァルトより14歳下で、特に18世紀から19世紀にかけての時代のクラシック音楽界を牽引したのが、何を隠そうベートーヴェンでしょう。

【 12問目 】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ドイツの作曲家、ピアニスト。
音楽史上極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつ【 何 】派音楽の先駆けとされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた。

【 正解 】ロマン派音楽

動画内のホワイトボードには、殆ど曲名が書かれてなかったのですが、このベートーヴェンを代表する交響曲3曲は、バッチリ書かれていましたね。

・第3番 変ホ長調 『エロイカ(英雄)』 op.55
・第5番 ハ短調 (運命) op.67
・第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125

押しも押されもせぬ代表曲ばかりです。特に個人的には『第九』を初演した時のエピソードに胸を打たれました。やはり中田さんは、『偉人伝』的にエピソードを語ると授業の躍動感の度合いが変わってきますね。
ぜひ、中田さんの授業動画は、YouTubeで堪能して頂ければと思います。(↓)

13.ロマン派音楽以降

ロマン派音楽については、『古事記』編の下巻よろしく非常に短くて、動画では概略だけを語って終わりにしている様な感じでした。

〔貴族の音楽 → 市民の音楽〕
・ロマン派:個性の百花繚乱時代 資本主義時代
・バロック音楽のヘンデルとバッハ、古典派音楽のハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン以外は『恐らく』ロマン派(ぐらいで覚えれば良い)

ウィキペディアに列挙している部分があったので、引用しましたが、(↓)

ロマン派音楽の時代区分については様々な見解があるが、次のように区分する例がある。
・初期ロマン派音楽(1800~30)
 シューベルト、ウェーバーなど
・盛期ロマン派音楽(1830~50)
 シューマン、メンデルスゾーン、ショパンなど
・後期ロマン派音楽(1850~1890)
 リストの後期、ワーグナー、ヴェルディ、ブルックナー、
 ブラームス、フランク、国民楽派など
・世紀末(1890~1914)
 マーラー、プッチーニ、シュトラウスなど

確かに著名な作曲家たちが10年に1人は登場しているような時代になってきた感じが、ここからも分かります。

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「ロマン派音楽」の作曲家たちについては、動画でも詳しくは語られていないので、またの機会に譲りますが、個性豊かな時代だからこそ、貴方好みの音楽もきっとあるのではないかと思います。私(Rx)好みのものも探しに行かないと!

【おわりに】

更に動画では、宗教音楽→貴族→市民と主題が移ろう中で、どんどん身近(教会→宮殿→劇場→レコード→ラジオ・TV→CD→デジタル→聴き放題)に、バリエーション豊かになってきた音楽。

『果たして我々は、この音楽の歴史の中でどういう状況にあるんでしょう?果たして豊かなのか、そうじゃないのか。』

と、あっちゃんは動画の最後を締めくくっています。“クラシック音楽”は、今から百数十年以上前のものにはなりますが、それ以前からの流れを汲みつつも、現代にも繋がるものでもあると思います。

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数十年前に比べれば、クラシック音楽に親しむ層は減ってきているのが実情ではないかと思う反面、それこそ昔ならば大きなLPレコードや高価なCDを買わなければいけなかった時代と比べて、気軽にネットなどを通じて、クラシック音楽の名曲たちを楽しみやすい環境が整っているものと思います。

ぜひ、この記事や中田さんの動画を通じて、『クラシック音楽、興味なくは無いけど、敷居が高い(俗用)感じがして……』という方も、まずは有名な作曲家の耳馴染みのある楽曲から、クラシック音楽に親しみましょう!

この記事が、その後押しになれば幸いです。ではまたっ!

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