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#11_『社長の目に光る涙と心の叫び』


 「スパイの仕事…ってつまりどういうことですか?」
 突然、スパイと言われても困るものがある。家電量販店にスパイとして潜入する必要性がわからない。ミステリーショッパーならまだわかるのだけれど。
 「そんなに肩肘を張らなくても大丈夫。普通の販売員としていてくれれば良いから。」
 「でも私、接客も販売も未経験です。」
 「スパイのお仕事がメインだから、そこは適当にやり過ごしてね。」
 「それに私は穏やかに、とにかく無難に生きたいので、スパイなんて怪しいお仕事はちょっと。」
 「怪しくなんてないよ。君にお願いしたいのは人助けのひとつ。私にしてくれたことと同じように、困っている販売員を探し出して手を差し伸べてあげてほしい。」
 全くもって想像がつかなかった。どうして社長クラスになると、よくわからないことを平気で言いのけてしまうのだろう。
 「野本くん、あの資料を持って来て。君もここに掛けてくれ。」
 野本さんはA4サイズの厚い資料を渡してくれた。表紙には"社外秘"のハンコが押してある。会社に関係の無い私に渡すなんて、やはりこれは、真剣なお願いだ。

 「新宿店の統率が取れていなくて、頭を抱えています。」
 急に仕事スイッチが入った野本の目も真剣なだった。
 「他店と比べて売り上げが取れていません。都心の大型店舗で駅前なのに。」
 「新宿店は私もよく行きますよ。いつも混雑していますよね?」
 「おっしゃる通り混んでいます。入店率は高いです。でも目に見えるほど売り上げには直結していません。」
 「あぁ…特に深い理由は無いのですが、商品だけ見て帰って、ネットで買う時もあります。すみません。」
 社長は下を向いてしまった。なんだか本当に申し訳ない。しかし野本はいたって冷静である。
 「構わないです。おそらく、そんなお客様が多いと思うので。けれどさすがにこれではマズイ…となって、社長と視察を繰り返すようになりました。そこで気がついたことがあります。」
 社長が口を開いた。
 「どこか"陰"の空気があって。重い空気というか。」
 野本も続ける。
 「店長にヒアリングをしても、トラブルは起きていないと言われますし、実際に私たちの姿に気がついた販売員たちは、一気に仕事モードに突入します。作られた陽の空気に変わるんです。」
 「それはそうですよ。私だって会社の偉い人が来たらお利口さんを見せますもん。」
 好き放題言える立場で本音をぶつけてみる。
 「きちんとやっているのだろうけれど、どこか違和感があるとも感じています、全体的に。私たちは常駐できないので、その原因を突き止めることが難しいんですよね。」
 「そういう時は、匿名でアンケートでも取ってみれば良いと思います。」
 「さすが星川さん、良いアイデアだね。でも実は、もう取っているよ。」
 社長に褒められた。私はラッキーガールかもしれないけれど、アイデアとしてはありきたりだよね。
 「手元の資料の3ページ目を開いてみてください。」
 野本さんの指示通り、ペラペラとめくった。そこには『社内アンケート』と題されていくつかの結果がまとめられている。
 「面倒だからって適当に答える人の方が多いのに、このアンケートはしっかりと回答されていますね。」
 私は感想を率直に述べた。給料面や待遇面に関しての文句は一切見当たらない。さすが。ここは大企業だ。
 「販売員は皆、かなり不満が溜まっているようです。特に人間関係が…」
 野本さんの言う通り、人間関係のトラブルは多いみたい。あの人と理解し合えない、パワハラをされている、あの人とあの人が不倫関係で業務に支障が出ている…などなど。愚痴吐き掲示板のようにネガティブなことばかり書かれている。
 「ここ1年を振り返って、退職をした方や異動希望を出された方のほとんどが、人間関係が起因となる精神的苦痛を受けたことを理由に、新宿から去っています。もう少し先に詳しく書いてあるはずです。」
 野本さんは、ここだ!と言いながら指してくれる。確かに、ネガティブな理由ばかりだった。スキルアップや新しい経験のため…といった自己成長に当たるものは見当たらない。

 「この資料を読んで星川さんは何を感じる?」
 社長の質問はかなりざっくりとしていたけれど、私はなぜかスラスラと答えることができそうだ。
 「一言で言うと"本当にヤバイ"だと思います。給料面・待遇面が良くても、人間はやはり環境に左右されるので、このまま見過ごすわけにはいかないですよね。墓場になるのも目と鼻の先なのでは?と思ってしまいました。」
 「社長、客観的な意見は大事ですね。全部、メモに取っておきます。」
 「そうだね。星川さんの言う通りだ。私はもう何も言えない。」
 社長はまた下を向いてしまった。これでは私がいじめてしまったみたいだ。
 「私の本音を君に伝えたい。良いかな?」
 社長の声は小さく、細くなっている。
 「はい、聞きたいです。」

 「私は、この会社の社長として長年やってきた。どの店舗も大事で、絶対に手放したくない。1つの店舗が無くなれば、何百人の人生を変えてしまうことになる。星川くんの言う通り、新宿店は墓場になってしまうかもしれない。膿を全部出して綺麗にすれば、かつての活気だって戻って来るはずだ。だからもう一度、私のことを…会社のことを救ってほしい。今日、私のために勇敢な行動を取ってくれた君ならきっとできると思うんだ。」

 社長の目に涙が光っていた。野本さんもこらえているのがよくわかる。私は詰まってしまった。
 「すまないね、星川さん。いきなりこんなこと言われて、困るでしょう。返事は急がない。ゆっくり考えてほしい。またここで会えることを期待しているよ。こちら、私の名刺です。」
 名刺を差し出す社長の手は震えていた。これは本気だ。適当に返事をして、適当に断ることはできない。反対に、簡単に引き受けることもできない。

社長と野本さんと、見たこともない何百人の人生がかかっているのだ─────。


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