「ボーはおそれている」:一人の男が抱える不安が現実になっていく恐怖。。テクニックは凄いが、僕はこの映画が嫌いだ。。

<あらすじ>
日常の些細なことでも不安になる怖がり男のボー(ホアキン・フェニックス)。ある日、ボーは先ほどまで電話で話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出るボーだったが、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。これは現実か、それとも妄想、悪夢なのか。次々と奇妙で予想外の出来事が起こる里帰りの道のり。旅の果てにボーを待ち受けているものは祝福か、絶望か……。

KINENOTEより

評価:☆
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

僕はここ最近、年間で150~200本くらいの作品を見ていて、(何回か書いていることではありますが)基本的に観たいと思う映画を観ています笑。前は、すごく抽象的な印象のする作品とか、ゴダールとか、いわゆる劇作品風な作品も(好きでもないのに無理して)観ていたときもあるのですが、別にこれが仕事でもないので、アニメであろうが、時代劇であろうが、女性向けなBL作品であろうが、年配向けなピンク映画であろうが、幼児向けなキャラもの作品であろうが、観たいと思った作品を観るようにしています。ただ、そんな自分勝手な作品選びをしていても、時々期待を裏切られ、僕の中の評価として低くなってしまう作品に出会っちゃうときもあります。その中でも時々中座したいなと思ったりもするのですが、一応お金はちゃんと払っているので、着座したらクレジットの最後まではちゃんと見るようにはしています。本作「ボーはおそれている」も年に何回かある、そういった掴まされた映画に僕の中にはなっちゃったかなーーと思いました。

本作ゴールデングローブ賞にもノミネートされているように、作品の出来としては素晴らしいと思います。普段、人の中に内在化されている恐怖という感情が、自分が見えている世界の中で顕在化したらという形で描かれていて、アニメだったり、舞台劇のようになったり、原色調の不思議な世界に迷い込んだり、ときにはスプラッター映画のように血しぶき吹き飛ぶシーンになったりと、普段の生活の中でも恐れを常に抱いているボーが、母親の葬式に出向くという旅の中で、自分の中に抱えている恐怖が次々と目の前に現れていく様は悲惨の一言。実際、精神疾患を抱えている人というのは、こういう感じに自分の中に抱える様々な感情が、幻視であったり、幻聴という形で顕在化してくると聞きますので、まさにこういった世界の中に、もし自分が放り出されたらそれこそ恐怖でしかない。そうした、この世に生きる一部の方の苦悩を描いているという意味では意味あるものかなと納得できる部分もあります。

ただ、僕はこの作品がはっきり言って嫌いです笑。久しぶりに観ていて、途中で帰りたくなりました。確かに恐怖が顕在化する世界は恐ろしいのですが、それがボーの人生の中で抱えていた常なる苦悩みたいなところにリンクしないのでお話として共感できないし、その世界の中でボーだけでなく(実際は存在しない幻かもしれないけど)、多くのキャラクター(特に良心を象徴するようなキャラ)が無残に死んでいくような描写が続いていくので、観ていても気持ちがよいものではなかったです。せめて、ボーが見えている世界だけでなく、第三者的な目線が世界視点として入っていれば、まだ現実的なお話にも感じるかもしれなかったですが、そうすると凡庸な形になるので、エキセントリックな形を維持したいのなら、こういう描き方が自然なのかなとも思ったりもします。うーーん、やっぱりもう二度と観ない作品かな。。笑

<鑑賞劇場>TOHOシネマズくずはモールにて


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