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ASD傾向による不登校からの高校進学*卒業年度の春の三者面談③

その後息子は髪を切る気配はない。
大人の考えを伝えたが本人の気持ちが変わらないのなら、行動を変えることはできないと思っている。
先生の期待には応えず、自分の考えを簡単に変えないところはすごいと思う。

進路については「好きなこと、興味関心があること」が大前提だと考えている。
将来なにを仕事にしていくのか、まだ見えていない。選択肢を拡げるために学力を上げて大学に行くことについて、提案したが勉強をする気持ちにはならなかった。
現実的ではないのだろうけど、好きなことを学べる進路に決まりそうだ。
専門学校でやりたい道を目指すことを応援しようと思う。
「やりたいこと」であれば続けることができると思う。続けること、が大事だと思う。
その先どうなるかは、今は見えていないけれど。

経済について。
ひとり親家庭になってから、養育費をもらいながら私一人の収入でこれまでの暮らしを維持していた。
フルタイムで働き、家事をし、父親役と母親を両方こなす日々。なんとか回っているように見えていたが、離婚して3年、息子が中学に入学した年に、ついに破綻した。
息子が不登校になって、わたしは母親としての自分の不甲斐なさを責めた。仕事の重責も重なり、精神的なダメージにより、半年間病気休暇を取った。息子とふたり自宅療養の日々を過ごす。

社会からはみ出る気持ちを共に感じることができたことは良かった。息子の側を経験したことで世界の見方が反転した。それがなければ息子を心の底から肯定することはできなかったと思う。

心の底から、というのが、繊細な子にはとても大事だと思う。思考と感情と行動の不一致を繊細な子、人は敏感に察してしまうからだ。本心でないことを見抜く能力が高い。
自分が忙しさや不安から、イライラしていると、敏感に察して、話などまともに出来ないのだ。

中学時代は登校は無理のない範囲で、友達との交流だけ大事にした。学校に行かないことで心は落ち着く反面、先の見えない不安が常にあったと思う。

高校進学は、新しい環境で無理のない学校生活を送れるところに決まり、息子は水を得た魚のように息を吹き返した。

新しい環境でストレスフリーで過ごせることを一番に考え、わたしは働き方を見直した。
ひとり親なのだから、父親がいない分を国から支えてもらおうと決めた。
前々年度の所得制限がなくなり、扶養手当が開始されたのは2年目の秋からだった、と思う。

ひとり親家庭であっても、心に余白を持って、母業を優先する暮らしをわたしは手に入れた。
迷うことはあったが、息子のために尽力したことは、わたしの母親としての罪悪感を手放し、色々な働き方を示すことも出来たのではないかと自負している。
今では娘も息子も本音で語り合えるよい関係だと思う。
息子に、わたしの労を労い、「もう大丈夫だから、自分の好きなことをして」と言われて驚いた。ずいぶん成長したものだ。「わたしはずっと好きなことをしているよ」「そうだね」と笑い合った。

子どものことをコントロールすることはできない。できるのは自分を変えることだけ。自分が悔いのない生き方をすることが私なりの親の役割だと思う。




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