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出産間近の心境

もう予定日となる40週間近になりました。

参加していたマタニティクラスでは、初産でも37週や38週で産んだ人たちの話を聞いていたので、はやめに準備していたものの、なかなか陣痛の兆候が現れません。。

2週間くらい前から毎日の散歩、階段上り下り、ヨガ、お灸など積極的にしているんだけどなあ…。

Rも今週から無給のお休みを育休代わりにとっていて準備万端ではあるんだけど、肝心のベビちゃんはまだのんびりプカプカお腹にいるみたい。

出産タイミングって競争でもないし、初産は予定日を過ぎることが大半と聞いているから焦ることはないんだろうけど、予定日を大幅に超過してしまうと助産院ではなく、病院での出産になってしまう(つまり、場合によっては陣痛促進剤など無理やりお腹から出させる出産になってしまうかもしれない)から、つい早く出てきて〜と思ってしまいます。

毎晩、今日は陣痛くるかな・・・きたらきたで怖いな・・・なんて、心の準備ができているようで、できていない、そんなメンタル状況で、ついに今日のお昼に感情が溢れ出てしまいました。

出来ることはやってるし、焦ることではないんだろうけど、どうしても焦ってしまう自分がいるし、まだ出てこないことがまるでいけないことのように感じてしまう自分がいてつらい、座り方(骨盤をまっすぐしないとベビちゃんの頭が下まで降りづらい)や運動1つとってもすべての責任が私にあるように感じてつらい、Rは実質的なストレスもなくアンフェアだ!とRにこぼしながらボロボロ泣く始末。

これまで自分がコントロールできる範囲内で物事を進めていけるように仕事でも私生活でも準備や下調べをするタイプだっただけに、この「待ち」の状態がつらいのです。

親になることは私のこのコントロールフリークなところを柔軟にしていく痛くも重要な学びの経験になるだろう、と捉えていたのですが、やっぱりそう簡単じゃないね。

運動はしているけど、出てこないってことはまだ運動が足りないのかな・・・。

ベビちゃんに話しかけることもきっかけになるってYoutubeで見たけど、私の性格的にそんなに簡単にできない。

助産院での健診に行くたびに、進展の有無が気になるし、「まだまだだね」と言われると自分の努力不足を指摘されているような気がして、おっくうになってしまう。

陣痛が来ずに朝を迎えると、どうしても「まだか・・・」とがっかりしてしまう。でも、実際陣痛がきたことを想像すると、痛みへの恐怖が出てきちゃう。

そんな思いがうずまいていて、ここ数日で結構なストレスになっちゃってました。泣きながら、すべて吐き出して、Rに受け止めてもらって、「そう感じるのはおかしいことじゃないよ」って言ってもらって、すっきりしたのですが、妊娠って心身ともに結構な負荷ですよね。

でも、なかなかこんな惨めな(?)話を聞くことがないし、みんな「早く出ておいで」「待ってるよ」なんて優しくベビちゃんに話しかけている母親なんだろうか?なんて思うと、余計自分がおかしくて何かが足りないって思えてきちゃうんですよね。怖い、怖い。

ここ数日、天気も不安定でそれでメンタルがさらに不調になりがち(ただでさえ妊娠中はホルモンバランス崩れるらしいので、メンタルも不安定になりがち)、ということも影響しているとは思います。だから、こういうふうに不安になったりストレスに感じることはおかしいことじゃないはずなんだけど、「こんな産まれてくる直前にお母さんがストレス感じてたら、ベビちゃんにも悪影響だよね」っても思っちゃって、何もいいことがない笑

食べ物、運動、ストレスマネジメント、睡眠など、すべての行動がベビちゃんの健康状態につながっていると感じてしまうからこその、無責任なことはできない感が10ヶ月も続くって、そりゃ簡単じゃないですよね(と自分に言い聞かせる)。そしてその感覚は母親にしか感じられないっていう一方通行も私にとってはつらい要因です。逆を言えば、胎動だったり、ベビちゃんとずっと一緒にいられる感覚は父親には感じたくても感じられないので、特権とも言えるかもしれないですが、私はときどきそれが重圧に感じます。

2人の子どもなのに、産まれるまではずーっとお母さんがケアをしないといけないし、仕事やキャリアを中断されるのもお母さん(もちろん育休を取る父親もいますが、女性は身体的に休まざるを得ない点で選択肢がない)。その現実も学んだ妊婦生活を過ごしてきています。

自分で親になる、と決めたことで、新たな命が生まれるって奇跡的なことだとは重々わかってはいますが、でも、つらいことはつらいって吐き出したっていいじゃないですか、と思います。
みんながみんな、いつもハッピーで100%ポジティブな母親じゃなくてもいいはずです。母親であることが重圧だって言えるセーフスペースがあってもいいと思います。でも、そう言ったからといって「悪い母親」なわけじゃないと思うんです。

私は自分が100%いい親になる自信はありません。でも、子どもやパートナーにとってよりよい人になりたいって思うし、そのための努力は惜しまない気持ちでいます。だから、失敗だってあるだろうし、失敗を受け入れられる度量もこれからつけていくことになるんだろうとRとも話しています(完璧主義なところがあるので、失敗したくない!って気持ちが強いので)。

以前、「Regretting Motherhood(邦題『母親になって後悔してる』)」という本をAudibleで聞いていたのですが、なにかと神聖化されがちな「母親」について考えさせられる研究だったし、これまで母親というだけで、「親になって後悔した」と言うことすらはばかられる冷たい空気がある、ということも指摘されていました。でも、誰だって自分で選んだ道とはいえ、つらいこともあるだろうし、つらいって言えるスペースが大事なんだな、と痛感しました。
※本について訳者と翻訳家の2人の対談がものすごく的を得ていたので、ぜひ読んでいただきたい!前編はこちらから。

幸いにも私にはパートナーがいて、ジャッジされることもなく、安心して思いの丈をすべて吐き出せることができます。今日はそのRの度量に救われました。性格上、私自身にはいつも不安はまとわりついてきますが、抱っこ紐を使う練習をして、楽しそうにしているRを見ていると、私も幸せになってきて、これからのことが少し楽しみになってきました(わくわくより、不安の方が大きいって意味です)。で、そんな自分にちょっとホッとしました。

これからも感情の波やお互い疲れ切って労われない日々もあるかもしれないけど、Rと一緒にいい親になっていけるよう、努力していきたいと思えた日でした。

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