見出し画像

令和2年 強くなりたい (前編)

「あと3年がリミットかな」

そう彼に告げられて半分の1年半が経った。
その間に色んなことがあって、令和2年元日、ようやく2人の未来が像を結びはじめている。

素直に、嬉しいのだ。
お日柄というものを初めて気にしてみたり、共通の銀行口座の貯まった額を眺めたり。
同じタイミングで結婚する親友と、あれやこれや話をしたり。

ただ時折、どうしようもなく悲しくて恐ろしくて、何をどう考えたらよいかわからなくなる日がある。
そんな自分に戸惑う。幸せなのに。

幸せすぎて明日死ぬんじゃないかと、人生勘ぐるくらい幸せなのに。

***

人生でいちばん悲しかった瞬間を聞かれたら、迷わず、愛妹の死と答える。

わかっている。
いつも、いつでも手を伸ばせばふわふわな手触りを感じられる距離で、うとうとしながら見守ってくれているんだって。
湿っぽい鼻の頭も、すーっと伸びた艶やかな鼻筋も、耳の後ろのほわほわの産毛も、私が記憶する限りそこにあるんだって。
何も変わらない。

だから悲しがるのは駄目なんだよね、
うん、ちゃんとわかってる。

しかし実家に帰ると、気づくと彼女の面影を探して目をうろうろさせてしまう。
私や私たち家族が大切でたまらなかった彼女は、期待する姿では決して現れてくれない。

大切なものは、あっという間に目の前から消えてなくなってしまうのだ。

本当に大切なものを見つけたら、他の色々なことに惑わされず一番に大切にしなければ。
愛妹の死後、何度自分に言い聞かせたことか。

「彼を一番に大切にしたい」

その気持ちが私たちを少しだけ前に進めてくれた。

***

結婚。
人生の最大の転機といっても過言ではない。

結婚を契機に様々なものが変わり決まっていく。
氏名、住居、お金の使い方、想像しうる先までの人生計画。
300万以上の催しを買うのも勿論初めてのこと。
今までふわっと思い描いていた妄想に容赦なく、一気に変化の波が押し寄せてくる。

でも気づいてほしい。
結婚を決めたからといって、途端に“妻”や“母”になれるわけではないことに。

「遠距離で、これからどうするの」
「子どもの顔はいつ見られるかしらね」
「関西や福岡に戻ってこないの、寂しいねぇ」

わたしだってわからないし、
わたしだって寂しい!

と叫びたくなる。

「ご夫婦」と呼ばれるのでさえ未だこそばゆいのに、妻の立場でライフプランなんて語れるわけがないだろう...!
第一、そんなの理想をいくら膨らませたって、その通りになんかいくはずない。

そういった問いを軽く投げかけられるたびに、あははと笑ってあしらっていたが、怒りと混乱がストレスとして蓄積されていたのか、昨年末上司にその話を振られて悲しみと涙が溢れ出してしまい、翌週高熱を出して寝込んでしまった。

2020 年を迎えるにあたり(誇張でもかっこつけでもなく)、闘うべき相手は自分自身だと思った。

***

大切なものを守れるように、強くなりたい。

私が2,3年前から抱く目標だ。

つまり、強盗の急所にフックを喰らわせたり、トラブルを法廷で丸く治めたり、生活資金を安定して稼いだり、仕事で疲れて帰った夜に野菜たっぷり鍋作って迎えたり、そういうことができることだ。

そして、隣でバラエティに笑ってアニメにどきどきしたり、夕食後にハーブティーと甘味を食してプチお疲れさま会したり、二人で近所のカフェに行って本を読んだり、ふとした時に手を伸ばして頭をくしゃくしゃにしたりする、幸せを守ることだ。

たとえ、死んだ魚の目をした社会人になったって、大切なものを守ることのできる大人はかっこいい。

色んな儀式や新しい名字や新居や新婚旅行だってそりゃ重要だけれど、私にとって結婚とは、新しくつくる家族を守ることだ。

遠距離婚では物理的な壁は変わらず私たちの間に存在していて、前述のイメージの描写は脆く儚く、しばしばネガティブな感情に覆い潰されてしまう。

どうしようもなく、悲しい。
何をどう考えたらいいのか、
分からずただただ、恐ろしい。

マリッジブルーとは少し違う、
結婚に前向きだからこその不安や恐怖。
幸せなのにこんな風に翻弄される自分は目指す自分とは程遠くて、どう向き合えば良いのか最大級に戸惑う。

彼との同居予定まで、あと1年と3か月。
ちゃんと今年を生きてゆけるのだろうか。

***

(後編につづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?