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ケーキを買って車が止まって、火球が落ちた日

高速道路上で最後を迎えた黄色い車のなか、2022年12月25日 クリスマス

雪や道路凍結で相次ぐ事故の影響で街のレッカー車は出払っているらしい。待てど来ず、エンジンのかからなくなった車内の温度が徐々に冷え込んでいく、あまりに生々しい「終わり」を思わせる。すでに車が動かなくなってから1時間が過ぎている。

先月の末、鹿との衝突を機にフロントは大きく凹み、走行には問題のなかったもののフレームごと大きく歪んだ。心の整理と新しい車探しをだらだらと、気が付けば12月も下旬。ようやく見つかった新しい車を契約した週の終わり。納車日はもともと25日を予定していたが、向こう側の事情で変更になった。そしてその日に、黄色い車は動かなくなってしまった。そしておそらく、この運転席に座るのもこれが最後になるのだろう。

黄色い車は、僕の相棒だった。

北海道に来てから、幾度となくくじけそうになる度、この車が僕を外へ連れ出してくれた。思い悩んだら港へ向かうことができたのも、この車が常にそばにいてくれたからだと思う。はじめての北の大地のそのほとんどの景色の隣に、この車がいた。

同僚から「この黄色はこの世の何よりも黄色い」と言われ、女子高生からは「ハニーハント号」と呼ばれ、行きつけのコンビニの店員さんにも「黄色い車の人」として認知を得るほど、この車の黄色はあまりに黄色だった。そして僕はその黄色がとても好きだった。10月に制作販売したエッセイ集『生活の幽霊たち』にも、書いても書かなくても良いはずだったのに一丁前に「黄色い車出版」と、表紙に書いてしまったほど。

この車は、そこまで多くないにしても隣に人を乗せることがあった。一見窮屈にも思える車内は個人的にはほぼ快適で、向かい合って話せないようなことでも同じフロントガラスの景色を見ながら、いろいろと話せた気がする。本州から遊びに来た友達を、この車に乗ってあちこち連れて行った。、

と、好きだったところや切ない今の気持ちを述べたらきりがない。この車のなかで書く、最初で最後の文章の内容は何が適切なのか正直よくわからない。人の一生において、車の最後を何度経験するものなのか、それもわからない。

そういえば、中学生まで暮らした埼玉のマンションがある。そこで暮らしたのは2歳から14歳までなので、12年。改めてそう計算してみると、いまの実家よりも長く住んでいたことになる。そのマンションを引っ越す際に、空っぽになったリビングを見て父親が泣いたことを覚えている。涙を流しながら「そこで千昇が小さい頃、牛乳、こぼして」と途切れ途切れに言ったのを何故かいま思い出した。牛乳こぼしたとか、どうでもいい記憶が意外と最後は見えてしまうのかもしれない。これは「愛着」の話だ。

ここに来て、レッカーに来てくれる車から連絡がようやく入った。時刻は23時を回っている。最後の2時間を、僕は今この黄色い車の中で過ごした。

12月の北海道、エンジンのかからなくなった車内は震えるほど寒い。スマホのバッテリーも残り僅か。寄ったコンビニで売れ残りのクリスマスケーキが売っていて、なんとなく仲間意識を感じて買ったはいい、まさかそれをキンキンに冷えた車内で食べるのも何か違う気がした。結局、本当にやることがなかったので、こうやって壊れた車のなかでレッカーを待ちながら文章を書いた。

さっき、警察が来て諸々の確認をしている間、とんでもないタイミングで南の空に火球が落ちていった。あまりに大きく綺麗に輝いていたから、誰か見たかもしれない。クリスマスに火球なんて、出来すぎている。コンビニのクリスマスケーキを一口だけ齧って、やっぱり違うと思って箱に戻した。


後日談1

この日、保険屋の話だと「厚真インターを降りたところから家までは、知り合いなり歩くなりして自力で帰ってください」と言われていて、いや無理無理、みんなクリスマスは酒飲んでるか家族や恋人とゆっくりしてるでしょ。歩いて帰ると3時間半。雪道で転んで死んで、死体の横にケーキあるなんてばかばかしくて嫌だな。とか思ってた。案外、こういう場面で頼っていい人っていないのか、としみじみ。強く生きていこう。

レッカーに来ていただいた業者のおじさんがマキタスポーツに激似だった。マキタさんのご厚意で家まで送っていってくれるという話になった。すみませんとありがとうを交互に20回ぐらい言っていた気がする自分。3時間、死ぬほど寒い車内で待って、後ろからレッカー車に乗って現れたマキタさんは、もはや神秘的にすら見えた。

「サンタさんかと思いました、マジで」と本人に言ったら、

「よく言われるよ」とよくわからない返事をいただいた。

家まで送っていただいている間、仕事の話で意外と盛り上がった。マキタさんが昔埼玉で働いていたこと、今の仕事をしていてお互い大変だと思うこと、結婚相手の選び方もそうだけど結婚するかどうかしっかり考えた方が良いこと。

その日は朝から稚内でレッカー作業をしてきたらしい。1日で北から南へ、雪吹き荒れる北海道中を走り回っているなんて、もうマキタさんは本当にサンタクロースかもしれない。「持ってきてくれる」のではなく、「持っていってくれる」タイプの新しいサンタクロース。

ケーキをあげようかと思ったけど、一口齧っていることを思い出してやめた。


後日談2

時間の問題とはわかっていたけれど、結局、黄色い車は廃車になった。最後に撫でた車体の感触と、その黄色をいつまでも忘れたくない。またいつかどこかで会えたら。いろんな景色を見せてくれて、いつも黙ってそばにいてくれて、本当にありがとう。

黄色い車のなかでは、いつもたくさんの音楽を聴いてきた。数ある曲に思い入れがあるけれど、一番最初にこの車で聞いた曲をはっきり覚えている。これからもずっと、この曲を聞くたびに思い出す景色があると良いなと思う。



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