ショートショート「スーツ姿のセールスマン」
S氏は呼び鈴の音で目を覚ました。休日の朝を気持ちの良くないスタートをさせられたとイライラしながら、少しさびのついたやかんに水を入れ火にかけてから、玄関に向かった。
「はい、なんでしょう」
ドアを開けるとスーツ姿の男が立っていた。
「どうも。お休みのところ申し訳ありません。私、〇✖社のRと申します。ただいま弊社の商品をご紹介させていただいております。」
セールスか、とS氏は乱れた髪を手で撫でた。
「朝早くからどうも。ですがセールスとかはいつも断っているんです。」
「そうおっしゃらずに。弊社の商品は大人証明サービスでして。気に入っていただけると思います。」
近年、成人したにもかかわらず親のすねをかじる若者や、ハラスメント行為を多発する上司などの問題から、「大人」という曖昧な言葉によって他人を定義することを疑問視する人々の声が目立ち、民間の企業が独自の基準によって利用者が「大人」であるか否かを判定し保証するサービスが急増している。
S氏が気だるそうに男の目を見ると、興味があると捉えられたのか早口を続けた。
「弊社は利用者にもっと寄り添いたいという思いから業界内でも判定基準はお優しくなっておりまして、デジタル証明書の利用料金も大変リーズナブルできっと気に入っていただけるかと思います。」
お前でも受かるモノを用意したから買えと、自分には聞こえる。安いボロのアパートに住んでいると、こういった訪問が最近あるのだ。
S氏は再度男の目を見た。
「実は私も同じサービスのセールスをしているんですよ。御社より小さな会社でですが。」
スーツ姿の男は驚いた表情をした。
「え」
台所のやかんから蒸気の豪快な音が聞こえ始めたので、S氏はそのままドアを閉めた。
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