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松島倫明インタビュー 〜どの未来へ向けて「実装」していくのか〜 後編

*前編はこちら、中編はこちらより。

テクノロジーも、環境とのインタラクションでもっとも適応したものが残っていくんです。強いから、じゃなくて、最適だから残っていく。

大東 ひとつ疑問なのですが、松島さんは、同じテクノロジーという意味でインターネットはかつての鉄道だとおっしゃる。でも鉄道はZoomと違って、実際にその人の体を現地まで運んでくれるじゃないですか。そこでお伺いしたいのは、テクノロジーの中でも将来的に受け入れられるものとそうじゃないものの違いはどこにあるのかなと。

松島 まさに、テクノロジーの取捨選択がどこで行われるかは重要な問いですよね。ひとつ僕が考えているのは、テクノロジーもある種の生物だとすると、ダーウィンの進化論でいうところの適者生存の原則に当てはめることができるかもしれない。テクノロジーも、環境との相互作用の中でもっとも適応したものが残っていくんです。強いから、じゃなくて、たまたまその時点で適応できたから残っていく。その意味で、テクノロジーの進化においては人間は重要なファクターなんですが、その人間の中にも「テクノロジーはこうあるべき」っていうリニアな未来像があるわけじゃなくて、いつも場当たり的にそれを使っているわけですよね? どんな技術もこねくりまわしていくうちに正しい使い方がわかってくる。そして、そのひとつの大きな要素が体験です。

大東 今のインターネット世界における体験って、例えばどんなものが挙げられますか?

松島 今のインターネットは会話をしたり、テキストや画像のようなデータをやり取りするだけで、そこにはまだ身体性が欠けています。だから今後は、2次元から3次元にダイブしていく。つまり、映画館へ作品を観にいくんじゃなくて、映画の中に自分たちが入っていくんです。これが新しい体験に繋がっていくんじゃないでしょうか。

アメリカのSFドラマシリーズ『ウエストワールド』は、まさしくハイテクな体験型テーマパークを舞台としている。

HIKARI 私は最近になって黒澤明の映画をやっと観はじめていて、映画監督としてそれってどないやねんという話なんですけど(笑)。

松島 アメリカで活動されていると日本人監督として突っ込まれそうですね(笑)。

HIKARI まさにそうなんです(笑)。それで、やっぱり黒澤さんは天才やな、と感動したんですよね。映像は白黒なのに、藁のベッド一つとってもテクスチャー、ディテールの表現がすさまじくて。これは映画館で観ないとダメだな、っていう気にさせられる。だから、映画を制作している側も、体験としての質をもっと意識すべきだなと思いました。

松島 それはある種のクリエイションの生態系という意味でも興味深いお話ですよね。今、多くの劇場や映画館が経営危機に陥っています。一方で、デジタルの恩恵で誰もがクオリティの高いフィルムを見ることによって、リテラシーの平均値が上がって、さらに高いレベルのものを求めるようになる。これはインターネットが繋がっていなかった頃のDTM(デスクトップミュージック)やDTP(デスクトップパブリッシング)の話にも通じていて、スティーブ・ジョブズがアップルでやろうとしたのは、パーソナルにものづくりができる環境を整えることで人々をエンパワーすることだった。誰もが作り手になることによって、他の人の表現によりコミットするようになり、カルチャーの土壌が豊かになったんです。

大東 だから今、インターネットの進化によって表現者の数が増えていることは、表現全体にとっては良いことだと。

松島 そうですね、必然的にそこで残るもののクオリティも上がっていくので。

アバターとも「共存」していく未来がくる。

大東 今はZoomによっていろんな可能性の扉が開いた感じがしますが、それもすぐに過去になって、今度はホログラムが常識になるかもしれませんよね。

松島 そうなんです。たぶん二次元のスクリーンでコミュニケーションしていたこと自体が信じられなくなるでしょうね。僕は以前「DIGITAL WELL-BEING」というテーマで一冊作ったことがあるんですが、その表紙をロボットが大自然でたたずんでいるビジュアルにしたんですよ。

というのも、今度は人間だけじゃなく動物や宇宙、あるいはロボットにとってのデジタル・ウェルビーイングが大事じゃないかと思っていて。要は他者をどう理解するか、っていう話なんですよね。その号の巻頭言でも書きましたが、感情とか意識の問題って太古から解明できていないんです。頭を切り開いてみても、そこに「意識」なんてものは見当たらない。

大東 それはまさに僕も感じていたことです。さっきのロボットの役の話もそうですが、意識をなくそうとすればするほど意識が生まれてくるし、自分でもコントロールできない。

松島 「哲学的ゾンビ」っていう有名な話があって、それはつまり、「相手が仮にゾンビで感情を持っていないとして、もしそのゾンビが100%感情表現できたとしたら、他者からはそれを人間と見分けることができるだろうか」っていう哲学の問いなんですよね。で、結論としてそれはできない。だから将来は、ホログラムの分野でも、人間のアバターなのかAIのアバターなのか分からなくなっていく。つまり、そのアバターとも「共存」していく未来がくるだろうと。それを翻って考えれば、かつて文化も言葉も違う人たちは、文明の中でそれでも分かりあおうとトライしてきた。『37 Seconds』に絡めていえば、自分とは違う生き方をするユマのような人のことを、観ている側はいかにして本当に分かるのかっていう問題です。

テクノロジー・ファーストで作られてきた世界がある中で、改めてテクノロジーにアートや哲学、あるいはフィクショナルなストーリーをぶつけてあげる。

大東 ロボットを演じていた時は、まわりの人たちがどんどん無機質なデータに見えてきたんですよね。だから、もはや自分が何をもって生命の有無を判断しているのか分からない。ただ、最終的には自分の判断でしかないから、それでも「相手を信じよう」と思った瞬間に自分の心が豊かになりましたね。そういえばさっき適者生存の原則のお話が出ましたが、『WIRED』としての生存戦略についても教えていただけますか?

松島 『WIRED』の創刊の辞には、「これだけ情報が溢れている時代において、究極のラグジュアリーとは、意味と文脈である」と書かれているんです。当時はインターネットがまだ一般化されていなかったのに、それでも情報って溢れていたのかっていう驚きがあるんですが(笑)。ニュースのファクトをただ追うだけじゃなくて、それがこの時代にどういう意味を持ちうるか、それを提示していくのがメディアである『WIRED』の意義です。単にこのスタートアップがイケていますよ、じゃなく、今後その技術は僕たち人類をどこへ連れていってくれるのか、っていう意味と文脈を提示し続けることです。

大東 僕たちもまさにそれを求めていますね。

松島 テクノロジー・ドリブンではない、テクノロジーを通した人文系ドリブンなメディアって、『WIRED』以外にあまり見当たらないんですよね。これまで人類はテクノロジーに圧倒されてきた。テクノロジーそれ自体の魅力や、経済的な原理に突き動かされていたんです。そうやってテクノロジー・ファーストで作られてきた世界がある中で、改めてテクノロジーにアートや哲学、あるいはフィクショナルなストーリーをぶつけてあげる。テクノロジーに問いを与える、ということですね。

大東 まさに『37 Seconds』の試写会の話に戻ってきますね。松島さん個人としての方向性は、WIREDと同じなんですか?

松島 それがわりと同じなんですよ。大学の卒論のタイトルは「デジタル・ラブ&ピース」でしたから(笑)。どうやって人間性を回復させるか、デジタルがそれをどうエンハンスするかっていうテーマに関しては、昔から変わっていなくて。今はテクノロジー万歳な人と自然万歳な人とで分かれているんですが、そこをくっつけることで地球環境が改善されて、僕たちもより豊かな自然の中で暮らすことができるはずです。

大東 最後に、今は些細なことにもきちんと向き合える時間じゃないですか。この自粛期間を、どのように使えば良いと思いますか?

松島 過去何百年もグローバル化が進んでいった中で、今はローカルに価値付けができる時間だなと実感しています。先ほどのテクノロジー派と自然派の話じゃないんですが、ネットワーク化された時代には、グローバルとローカルの両軸にどんどん収斂していくんだと思うんですよね。例えば気候変動問題となると世界中が連帯して取り組んでいく必要があるので、そこの基盤になる他者への優しさやつながりといった感性を、今こそローカルから養うべきだと思っています。


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