#小説
物語の始点と終点はどこか〜擬似的な死と復活〜
物語というものは必ず始まりと終わりが無ければいけない。当たり前のことだが、名作の続編が出まくっている近年ではわりかし(個人的に)熱いテーマである。
そもそもなぜ物語に始まりと終わりが無いといけないかというと(当たり前だが)人間が物語に費やせる時間は有限である上に、複雑で長くなりすぎた物語は誰も理解できなくなるからだ。
人間の理解のため、複雑すぎる現実を単純化してわかりやすく切り出すのが物語の持
「ニンジャスレイヤー 」輪廻転生の輪(後編)
承前
https://note.mu/yellow_osushi/n/n6d2d99d57b23
後編、と言いつつあまり連続性のない話となる。
個人を規定するもの仮に個々の人間同士に肉体的、物質的な差異が無いのだとしたら、個人を分かつものは何になるだろう。これは肉体を自在に選ぶことのできるサイバーパンク世界観において特に顕著な話である。
これはニンジャスレイヤー本編で明確な回答がある。
ヤクザ天狗 〜奇跡の定式化〜
久々にニンジャの考察としてヤクザ天狗についてまとめてみたいと思う。(非ニンジャだが)
ヤクザ天狗がニンジャスレイヤーのキャラクターとして特異なのは、彼自身がニンジャハントする動機が「ニンジャソウルを解き放ってしまった贖罪」という完全に彼の内的な要因によるものという点にある。(それ自体も勘違いなんだけど)
つまり、忍殺自体が個人と社会のネットワークを重視している物語にあって、ヤクザ天狗の行動原理は