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手を鳴らせ

さあ、手をならせ べいべー

気ままな リズムで

さあ、手をならせ べいべー

君らしい ひびきで


さあ、はじまるよ べいべー

待ちに待った カーニバル

とっておきでおいで べいべー

みのがし ゲンキン


ブラックも ホワイトも 帰属<なまえ>なくした君も

関係ないぜ 踊り出そう


さあ、手をふって べいべー

風を巻き起こせ

さあ、足をならせ べいべー

大地を揺らそう


思い出も 未来図も 今、輝くためだから

てのひら あけて かざそうぜ


そうだ こんな夜 夢見ていたんだ

ありのままで 顔上げて 歩く大通り

バルーンを放て 猫も騒ぎだす

混じり合う歓声に 輝る星が

ぼくらのフラッグだ


さあ、手を鳴らせ べいべー(手拍子)

さあ、手を鳴らせ べいべー(手拍子)

そのままでいいんだよ


あいつらも  おまえらも

あっち側も  こっち側も

おとなたちも こどもたちも

おねーさんも おばあちゃんも

科学者も   占い師も

意気地なしも アウトローも

もうずっと  ながい間

傷ついてきた アナタも

友達も    恋人も

レーベル<なまえ>なくした僕も

だから 誰でもいいぜ

手を鳴らせ!


こんな夜 夢見ていたんだ

ありのままで 胸張って 歌う祝祭日

花火を飛ばせ

それが空に消えても

見上げた記憶 いつか思い出して

微笑ってみて

こんな夜もあったことを


さあ、手を鳴らせ べいべー


今日はありがとう

また 会おうぜ

2023-07-08

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/かんたん な かいせつ

帰属意識、というものが、今まで生きていてとても希薄な私です。
単に真ん中にいたい、というだけの人間かも知れませんが。
今ある、なにかの組織やルールに、自分を染めるのがとても苦手な私です。
例えば、日本という国に生きていて、色んなインフラを享受しながら、
国家のための歯車として生きることに抵抗があったりとか。
そんな自分に時折、後ろめたさを覚えたりもします。
大きい会社に勤め続けるのも無理でした。
あなたはどうでしょうか。

でも、そんな僕でも、お祭りの中なら誰もが平等のような気がします。
だから、そんな歌を作ったつもりです。
言語や人種に比べて、また歌うという行為に比べて、
手を鳴らすというアクションは簡単で足並みを揃えやすい行為に思えましたし。

この歌で一番歌いたかった一節は
『もうずっとながい間、傷ついてきたアナタも』です。
なんか、ここを歌うと、すごく救われた気持ちになります。
あなたはどうでしょうか。

大学四年生に『ANTI LABEL CREATION』というタイトルのブログを書いてました。今エゴサしてみたらすでに存在しないようでヒットしませんでした。ホッとしました。

昔からラベルに書く名前の見当たらない人間だなぁと思っていて。
『ありがとう』って歌うときにも『こんな自分なのにありがとう』って言い方になってしまっていた僕ですが、
今回は自分を卑下する要素を入れずに、自然と歌うことが出来ました。
『まちのうた』からそんな傾向があったので、やっぱり『夢のおわり』で自分なりに明確なピリオドを打ったのは意味があったのかも知れない。
そんな風に思っています。

僕自身が、僕の成長を感じた歌になりました。
もしライブで聞く際には一緒に手を鳴らしてくれると嬉しいです。

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