精神科


思春期と言われる頃から精神科通いでした。
転院も当たり前に閉鎖病棟も当たり前の通過点。

通っては診断名がコロコロ変わり、当時の自分はどれが本当の自分なのかスマートフォンが普及し始めた頃に診断名と症状探ってた。これだ!っていうものに20代後半まで辿り着けなかった。薬も安定した薬飲めずバラバラで副作用もバラバラだった。

でも'知的障害'だけは少し納得しているような気がした。時代の流れに乗れないし話もついていけない。今流行りのパーソナルカラー、骨格に合うファッションもいまいちわかってない。
もう一番は鏡に合わせることだと思う。それに自分が着たいもの着たい。それでいい

これがある転院先の今の病院の心療内科の主治医にたどり着く。

'僕も発達障害なんだよ'…主治医に言われてこれが嘘でも嬉しかった。
いままで同じ目線で話す人が指で数える程もいなかった。

いまADHDと言われてこれだ…!!って一番納得して自分だけじゃないんだって世界に入り込めてるような気がしてる。

部屋は片付けられないし片付けても思うように進まない。
画鋲、爪楊枝、綿棒もばら撒いたらそこで試合終わり。w

これが自分だけじゃないんだって思えるADHD。
ただ最近は遂行機能発達障害も診断書に書かれてて…なのに料理は献立が思いつく、出来上がる料理も想像通りになる…これだけ引っかかって仕方ない。

料理が全員できない訳じゃないのかな…ってなる

祖父譲りで書けない文学が好き。漢字が好き。
娘の名付けも当時パートナーもいない中一人考えてたけどそんなに悩むことなくパッと思いついた。

ただ自分だけが出来ることを増やしたい。

でも心療内科で話せない家庭事情。父子家庭で育った以上、父が家庭環境の影響と公に話せない。
父のことを話せば元スチールカメラマン。数々の著名人を取材したり撮影してた。

メイクの変化、体型の変化にひと足先に変化に気付かれ、思春期、今も嫌な思いをする。

痩せた?太った?が帰ってからおかえりよりも先。もう父なりの職業病なのかなって開き直れたら楽だけど。言葉を鵜呑みにしてしまう性格…

また友達もいないに近く少ないから父との距離が近すぎたのかなって思う

結婚(再婚)を機に拠点も移すのでパートナーとともに親離れができたらと思います。

あとは心療内科に父のことも話せる様になれたらいいなって思う。

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