【佐和山城陥落】1600年9月18日

【佐和山城陥落】1600年9月18日
近江佐和山城が東軍に攻め落とされ、三成の父正継や兄正澄ら一族は自刃する。また石田方の小野木重勝に包囲されていた丹後田辺城の細川幽斎が、三度の勅使下向により停戦を受諾。九州では黒田孝高が熊谷氏の安岐城、垣見氏の富来城を攻め落とし、栗山利安に毛利高政の佐伯・角牟礼・日隈の三城を攻めさせる。一方、徳川家康が小早川秀秋の戦功を賞し備前を与え、関ヶ原より脱出した島津義弘は河内平野から住吉に到着する。京の北、比叡山の麓の佐和山城は京守護の要衝。ここを与えられていた三成の信用度の高さが分かる。攻め方の東軍主力の福島正則は、三成憎しから「城内は長年の蓄財で豪華、財宝も多い」と思った所、土壁で一切豪勢な所なく、財宝はおろか兵糧も僅か。一戦に賭ける三成背水の陣と、自身の栄達など一切望んでいなかった事を知り驚愕した。 #どうする家康

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