【山内一豊死去】1605年9月20日

【山内一豊死去】1605年9月20日
山内一豊が土佐高知城で病没。享年60。司馬遼太郎先生「功名が辻」の才女千代の夫。信長に滅ぼされた清州守護代織田家の家老の血筋。牢人から秀吉の与力になり出世は遅い地味な存在なものの、掛川6万石になる。秀吉腹心の数少ない大名は他に、中村一氏、堀尾善晴などは家康の監視の意味もあり東海に配置された。しかしこの監視は曲者で、逆にお近づきになる事でもあり、この3将は全て関ヶ原合戦では家康に付いた。 #どうする家康

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