【真田昌幸死去】1611年6月4日

【真田昌幸死去】1611年6月4日
真田昌幸が配流先の紀伊九度山善名称院(真田庵)で病歿。享年65歳。表裏卑怯者と呼ばれた。これは圧倒的な賞賛、当時は孫子がバイブル「兵は詭道なり」常識であったので調略の無い武将など無能とされた。豊臣との最終決戦大坂の陣「真田大坂入城」と聞いた家康「親の方か、子の方か」と慌てて聞き返し真っ青になったと言う。「子にて」安堵したと言う。 #どうする家康

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