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【沖田畷の戦い】1584年3月24日

【沖田畷の戦い】1584年3月24日
肥前沖田畷において有馬・島津連合軍が龍造寺軍を撃破し、龍造寺隆信は川上忠堅(忠智)に討たれる。享年57。九州三国志と言われる島津大友龍造寺の戦いは第1ラウンドで新興勢力の龍造寺が消えます。肥前島原半島で島津4兄弟では最も無名、しかし武略ではNO1だったと言われる家久により、1/4の兵力で撃破します。古来弱国の兵は強いと言います。薩摩はシラス台地に覆われ、ほとんど米が獲れず、太閤検地では薩摩大隅77万石と言われましたが実高半分以下だったと言い、幕末西郷隆盛が江戸で散々「イモ侍」と言われる程、主食はサツマイモと言われました。寡兵を侮った龍造寺隆信は正面突破で島津を踏みつぶそうとしますが、島津得意の釣り野伏で兵を細かく分け、家久の上げる白旗に合わせて伏兵を繰り出し一気に囲み殲滅させた、しかも家久は隆信をまんまと湿地帯に誘い出し、動きの悪い所で大将クビを挙げた。戦続きの戦国でも戦の最中に大将が討たれる事は稀で、今川義元や陶隆房などである #光る君へ #大河ドラマ

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