【家康、諸将の軍功を賞す】1600年10月15日

【家康、諸将の軍功を賞す】1600年10月15日
徳川家康が諸将の軍功を賞し、浅野幸長には紀伊和歌山37万6千石を与え、池田輝政には播磨・備前・淡路三国を与え姫路城主とする。また清洲の福島正則を安芸・備後四十九万石に転封、代わりに四男の松平忠吉を清洲城主に任命する。関ヶ原合戦から僅か1か月、論功行賞を独断で行う家康、この狡猾さ素早さは源頼朝から学んで居た。頼朝は石橋山合戦で惨敗、真鶴から安房(千葉)まで脱出、その時宣言したのは「以仁王から関東の土地の仕置きは、この頼朝が預かった。手柄次第で恩賞は思いのまま」僅か数人での脱出は、3か月後10万の大軍勢となった。さすがの家康 #どうする家康

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