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寛永14年(1637年)2月29日は本多正純の命日

寛永14年(1637年)2月29日は本多正純の命日。
『#どうする家康』で松山ケンイチさん演じる本多正信に反発していた、その息子です。
劇中では、生真面目でエリート然としたタイプでしたが、史実ではどうだったのか?と、これがなかなか哀しい結末を迎えています。家康側近として絶大な権力を持っていたが秀忠からは冷遇、土井利勝との政争に敗れ意思決定から外された。福島正則の無断城修築も正純に願い出た事で、幕府中枢の不興を買い改易となったとも言われます。宇都宮釣り天井事件で、最上家の山形城接収の命で山形滞在時に突然の改易、そのまま由利本庄へ預かりとなった。なぜこんなに嫌われたのか?家康の信任が厚すぎ、秀忠でさえ聞いていない遺言を聞いたとも言われ、その口封じだったとも言われます。秀忠は家康の個人遺産は相続していません。御三家に分け与えられました。それは天下は秀忠、遺産は御三家と言う深慮遠謀だったのですが、秀忠は激怒、そのとばっちりとも言える #大河ドラマ #光る君へ

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