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【豊臣秀保が家督相続】1591年1月27日

【豊臣秀保が家督相続】1591年1月27日
豊臣秀保が養父秀長の死により家督を相続、大和郡山城主となる。豊臣政権は完全な絶対君主側近政権、全ての決裁権は秀吉に集中した。その中核を担ったのが弟秀長と千利休「表向きの事は宰相(秀長)裏向きの事は利休」と秀吉の代理として温厚公平で決してマウントしない性格は諸大名や朝廷の絶大な信頼を得ていた。軍事担当の黒田官兵衛、死去した蜂須賀小六も秀長と同じ古参としてシナジー効果を挙げていた。16歳の秀保にその任が出来るはずもなく、今後は官僚武将石田三成などの奉行衆主導となり、政権は揺らいでいく #光る君へ #大河ドラマ

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