寛延4年(1751年)7月20日は上杉鷹山の誕生日

寛延4年(1751年)7月20日は上杉鷹山の誕生日です。米沢藩九代藩主であり、ボロボロだった上杉家の財政立て直しに17才で取り掛かりました。いったい鷹山は巨額赤字を如何にして改善させたのか。上杉謙信以来の関東管領の要職の名門は関ケ原敗戦で75%の大減俸に遭っても家宰直江兼続は家臣の召し放ち(解雇)をしなかった。自身も30万石から6000石に知行を減らし、家臣には開墾武士として半農を義務付けた。しかしこれがまた呪縛となって、更に領地を半減されても家臣は解雇せず、赤字体質は恒常的となる。この過去の行きがかりを変えられない事と無駄で頑固な名門意識と負け犬根性、全てを家臣一同の前で説き、徐々に心構えから変えていった。所詮改革など人の脳内を変えないと出来ない。 #どうする家康

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