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読書メモ #10 『殺人出産』 村田沙耶香

常識を疑い、正常と狂気の間を考えるというテーマは村田さんの中で揺らがないんだなあと思った。
「殺人出産」における、極度の人口減少という背景は「生命式」と同じだったけど、そのためのシステムとして、10人産めば1人殺せる、というものが正常とされていた。

数十年、数百年前の常識からは考えられないものが正常とされている世の中で、そのギャップを疑問に思える姿勢は単純にすごいと思ったし、でもそういう姿勢や思考が有意義なのかと考えるとそれはまた別問題とも思う。
例としてふさわしいかは分からないけど、例えば反ワクチンを唱えている人たちも言ってしまえば、大衆が何の疑問も抱かずに新しいものを受け入れている様子に何かマイナスなものを感じて声を上げているんだと思う。
作中で同じように声を上げていたのが早紀子。
一方で育子は、早紀子の気持ちも分かりながらも
「たとえ100年後、この光景が狂気と見なされるとしても、私はこの一瞬の正常な世界の一部になりたい。」
という考えになっていった。結果として現在の正常を受用しているという点では大衆ともとれるけど、決定的に違うのは育子はその正常を諾うことはしていないということだろう。

印象的だったのは育子が早紀子に言った
「あなたが信じる世界を信じたいなら、あなたが信じない世界を信じている人間を許すしかないわ」
という部分。
どんなに小さいことでも、今回のように生死レベルの大きなことでも、どうしても人それぞれの世界観と価値観があって、それらを受け入れ合うのも認め合うのも難しいけど、育子が言うように許すことはまだ可能性があるんじゃないかなと思った。
ただ、その後早紀子が育子の姉に「死に人」とされてしまうのがどうしても残酷すぎた。残酷だと思っている以上、私も早紀子側(それはそう)なわけで、でも育子の姉の世界も許してあげようとするならば、早紀子の死をどう言う気持ちで見ればいいのか分からなかった。

描写の残酷さや、死に人になる人が抱かれる憎しみなどの感情が生々しすぎて、読み終えたあとは少し気分が下がってしまった。かなり似た世界観で描かれているのに「生命式」とは全く違う気持ちになった。

その後の「トリプル」、「清潔な結婚」、「余命」。
最初の2つは私の苦手な世界が描かれていたので少ししんどかったけど、あくまでそれらが正常と思っている彼らの立場になれば、どうってことないことだった。
「余命」は綺麗な話だった。
ようは、死にたい時に自分で死ねる世界。安楽死と似たようなものかな
自死が過度にタブー視されている方が異常なのかも、と一瞬考えたりもした。

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