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読書メモ #11 『地球星人』 村田沙耶香

常識を疑う、というテーマは今まで読んだ2冊と同じだったので面白さよりもまず既視感が強かった。
でも、『生命式』や『殺人出産』が生(もしくは産むこと)と死(もしくは殺すこと)を中心に描かれていたのに対して、『地球星人』はもっと多くの問題に触れているように思う。子供同士の性行為や、虐待、子供への性犯罪など。
それでも、恋愛至上主義や結婚至上主義、出産至上主義を疑問視する姿勢は強く感じられた。

奈月が由宇とセックスした後、その場で自殺しようとしたシーンが一番好きだった。
まず、2人がしたセックスは儀式的なものではなく、内側に入りたいという純粋な欲求によるものだった。それは「人間工場」に洗脳されきった大人たちがする行為とは全く違う意味を為すものだと思う。
そして自殺しようとしたのは、自分が「人間工場」の部品になることを恐れていたからで、まだ幼かった奈月には部品として洗脳されることに抗うエネルギーが残っていたんだろう。
その後の会話で、「いつになったら、生き延びなくても生きていられるようになるの?」という奈月の質問に由宇は、「大人になったら、きっとそうなるよ」と答えている。
生き延びる、というのは「人間工場」への違和感を抱えながら過ごすこと。
生きる、というのは「人間工場」のシステムに完全に洗脳されて過ごすこと、だと私は捉えた。
つまり、大人になれば自然と「生きる」ことができるようになると2人は思っていたんだろう。

上述したことを踏まえると、2人の結婚誓約書に書かれた「なにがあってもいきのびること」は、「人間工場に洗脳されずにいること」つまり「ポハピピンポポピア星人でいること」という意味だと思う。

大人になった奈月は生きることを望みながらもそれは叶わず生き延びていて、ポハピピンポポピア星人のままだった。生きることを望んでいたのは、そっちの方が楽だと気が付いたからに過ぎなくて、決して姉や友達と同じようにありたいと願ったのではないと思う。

一方で由宇は、地球人にもポハピピンポポピア星人にもなれるようになっていた。周りに流されることを望んで、どちらにもなれる、というかどっちつかずな由宇がなんだかんだ一番人間らしいんじゃないかと思った。

そして智臣は奈月と真逆で、ポハピピンポポピア星人でいることを望んでいた。洗脳されること(労働やセックスなど)を嫌い、地球人として生きている人に嫌悪感すら抱いていた。個人的には彼のこの態度だけどうしても納得がいかなかった。『殺人出産』で同じように自分と違う価値観の人間を許せない早紀子に主人公の育子が言った「あなたが信じる世界を信じたいなら、あなたが信じない世界を信じている人間を許すしかないわ」というセリフをなんども思い出した。
一方で奈月は地球人の価値観も認めていて、それはほぼ諦めとも取れる態度だったが、それでも自分はどうしてもポハピピンポポピア星人にしかなれないという考え方だった。私は奈月のそこが好きだなあと思う。

この3人の中で自分はどの立場なんだろうと考えると、奈月が一番しっくりくる。自分が考えることや望むことが一般的なそれとずれていると分かりつつ、どうせなら大衆に飲まれてしまいたいと願うけどそうもいかない。智臣のように自分の価値観を声高に叫ぶことはどうしてもできないなと思う。まあ言ってしまえば結局はその程度のこだわりなのかもしれない。

『生命式』、『殺人出産』に続いて3冊目の村田さんの作品だったけど今のところ一番好きだ。

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