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【小説】俺の自作同人誌が全社員に晒された件【月刊アート・プロジェクト】

毎月、皆さんに決めて頂いたお題でYeKuが何かしらの創作をするという企画をやっております!

6月のアンケート結果と共に今月の創作をお届けします。


アンケート結果

今回のアンケート結果は、以下のようになっております!
※太字が決定

テーマ

無限の探求
失われた楽園
運命の交差点✨
静寂の中の声
夢の中の現実

モチーフ

「羽」 - 軽やかさや自由、天使や妖精などの象徴として。
「鎖」 - 束縛や制約、つながりや連鎖の象徴として。
「砂時計」 - 時間の儚さや有限性、過ぎ去る瞬間の象徴として。✨
「宝石」 - 美しさや価値、隠された秘密や願望の象徴として。
「風車」 - 変化や移り変わり、自然の力やエネルギーの象徴として。

形式

コラム

アンケートにご協力くださった皆様、ありがとうございました。

それでは「運命の交差点」をテーマに「砂時計」をモチーフとした「小説」です。お楽しみいただければ幸いです!


 今では都会の一流企業に勤めるこの俺も、かつてはイガグリ頭のチビガキだった。夏休みになるとしなびた山村にあるばあちゃんの家に預けられるのが恒例で、ありあまる体力のままいたずら三昧駆け回っていたが、のんびりしたばあちゃんは「元気でいいねえ」とニコニコしていたのを覚えている。

 いつもにこやかで静かなばあちゃんだったが、一度だけ改まった顔で俺を蔵に呼んで、「キミ坊だけに見せるんだからね。内緒だよ」と薄紫色のきらきらした風呂敷に包まれた箱を取り出した。中には銀色の砂時計が入っていて、子どもごころに高級なんだろうなと察したものだ。

 その砂時計には金と紫の砂が不思議と絵に書いたようなセパレートに分かれて入っていて、不思議なオーラというか、今までの人生で感じたことのない、ヒリヒリするような引力を感じたものだ。

 ばあちゃんは、俺とばあちゃんしかいないのに声を潜め、大真面目な顔で言った。

「キミ坊、この砂時計はね、私が若いころ、ある立派なお大臣からいただいたものでね。不思議な力があるんだよ」

「本当に? どんな力?」

 俺もつられて小さな声で尋ねると、ばあちゃんがさらに声を小さくしたので、俺は身を乗り出さなければならなかった。

「誰でも、人生で一度くらいは、ああ、あれだけはやめておけばよかったって後悔することがあるもんさ。そういう、人生最大の運命の分岐点にね。一度だけ使えるようになるんだよ」

 ばあちゃんはそっと砂時計を手に取って、ひっくり返したが、砂はぴくりとも動かない。まるであらかじめ、固められているようだ。

「私は昔、これを使ったからね。二度と使えないのさ」

「何を後悔したの?」

 ばあちゃんは恥ずかしそうにはにかんだ。 

「それはね、じいちゃんと結婚しなかったことさ。内緒だよ」

 しわしわの顔で、不器用にウインクする。
 それからばあちゃんは、再び大事そうに砂時計をしまい、俺の頭を優しく撫でた。

「これはキミ坊にあげるつもりだから。必要な時に、キミ坊のところにやってくるよ」

 ばあちゃんがあの砂時計を使わなければ俺は生まれてなかったのかと思うと、畏敬の念を感じたものだ。

 * * * 

 俺は自宅アパートに届いた小さな段ボールを開けて、ため息をついた。

 上京して就職し、5年も経った頃。仕事にも慣れて、趣味に忙しい俺はばあちゃんに会いに行くどころか、実家に帰ることも稀になっていた。

 ばあちゃんが死んだと聞いたのは、そんな頃だ。お袋から電話で知らされて、そういえば子どもの頃可愛がってもらったよなあと罪悪感で胸の隅が痛む。葬式ぐらいは出たかったが、どうしても仕事を休めず欠席した。だから形見分けで送られてきたその中身――例の砂時計を前に、なんだか息苦しさを感じている。

 子どもの頃の記憶のまま、時間による影響を受けていないかのように、その砂時計は光り輝いている。

『必要な時に、キミ坊のところにやってくるよ』

 ばあちゃんの言葉を思い出したが、特に後悔するような心当たりはない。

 強いて言えば、社内コンペの準備で死ぬほど忙しいのと、趣味の同人誌が締め切り直前というデスマーチな日々を送っているだけだ。この過労がもとで、体を壊すとか……? ちょっと怖かったが、まあ、老人の迷信をそこまで信じてるわけじゃない。俺はその段ボールを栄養ドリンクの空き瓶に埋め尽くされた机の隅に置いて、作業に戻った。

 印刷所に何度も頭を下げて、すでに二度締め切りを破っている。一週間後の夕方までに原稿を持ち込めばなんとか春コミに間に合わせてもらえるとは言ってもらえたが、さすがにそれが本当のデッドラインだということは分かっている。もし原稿を落としたら、新刊を待ち望むさファンの皆さんが血の涙を流すだろう。

 何を隠そう、俺は流星キララというペンネームで、男の娘漫画界隈の人気を博している。自分で言うのもなんだが人気作家だ。毎回部数を増やしても新刊は毎回完売だし、既刊本も印刷が間に合わず在庫切れが多い。一度完全予約販売にしてみたが、あまりにも殺到しすぎて申し込み用サイトのサーバーが落ちた。

 そんなわけでこれを落とすわけにはいかないが、すでに三徹している上に明日も仕事だ。

 週末に迫っている社内コンペも重要だ。社長も参加する全社的なイベントで、ホテルの宴会場を貸し切り、数百人が一堂に会する。これが無ければ、有給を取って新刊に備えるのだが……。

 絶望的なため息をつき、仮眠を取るつもりでベッドに寝転がった。

 * * *

 そして来たる金曜日。今日の午後から社内コンペが始まるし、それが終わるぐらいまでに原稿データを印刷所に送信しなければならない。

 なお、笑えることに、どちらもまだ準備が終わっていなかった。

 俺は早朝に出社し、一人で作業を進めていた。どちらもなんとか間に合わせなければ死、あるのみだ。こめかみに汗がにじむ。

 社内コンペのスライド資料を最終チェックしつつ、もう一つの画面にイラストソフトを開いて漫画原稿の細かい部分を調整していく。

 特に入念に修正したいのは、濡れ場のシーンだ。「男の娘」はいわゆる美少女にしか見えない少年のことだが、こういうシーンでも女の子みたいに恥ずかしがる、けれどもついてるものはついてる。そんなアンビバレンスに人は魅力を感じる。

 俺の人気は、特にこういうシーンでは際立つ、髪の毛一本一本まで書き込まれた繊細なイメージにある。入念に調整された丸みが表す肌の柔らかさ、まるで感触まで感じられそうな質感があると評価いただいている。だからここだけは絶対に、手を抜くわけにはいかないのだ! 男の娘界希代の大御所、流星キララの名が泣くというもの!

 俺は執念でコンペ資料と原稿を仕上げ、両方とも保存した。会社のPCで18禁同人誌を描くのはコンプラ的によろしくないが、まあ始業前だし許されるだろう。

 時計を見ると、始業の30分前だった。なんとか今日も乗り越えられそうだ。
 まだアドレナリンが体中に駆け巡って落ち着かないが、このままじゃコンペを乗り越えられないだろう。俺は三十分だけでも休憩すべく、冷蔵庫に冷えピタを取りに向かった。

 * * *

 午後になり、俺は社内コンペ用のデータを入れたUSBを片手に会社を出た。なお、同人誌のデータはバッチリ印刷所に送信済みである。

 コンペが行われるホテルは都内でも有数の一流ホテルで、社内の大きなイベントや会食で多用されている。俺はネクタイをちょっといいやつに変えて意気揚々と乗り込んだ。

 一緒に発表するチームメンバーが笑いながら俺の肩を叩く。

「コンペ資料の仕上げ、任せちゃって悪かったな」

「だいじょうぶだいじょうぶ。俺にしかできないからさ」

「本当に大丈夫か? 目の下が変色してるぞ」

 メンバーは心配そうに顔をしかめたが、俺はヘラヘラと笑った。

「任せとけよ。いつも通り完璧だから」

「結果は心配してないけどさ。お前背負いすぎなとこあるから」

 などと話しつつ会場入りし、俺たちは指定された席に着席した。

 すぐにコンペが始まり、会場が暗くなる。俺は腕を組んで他のチームのプレゼンを見たが、正直大したことないな。今回はきっと俺たちの圧勝に違いない。

 そうこうするうちに順番が来たので、俺たちはぞろぞろと前に出た。すかさずポケットからUSBを取り出し、壇上に設置されたPCに差し込む。俺はパワポファイルをダブルクリックし、マイクを握った。

「えー、それでは営業一課から代表して野口が発表いたします。我々が今回のテーマから得た着眼点は――」

 いつも通り洋々と話し始めた俺は、会場がやけにざわついているのに気づき、眉を上げた。

 ずいぶんと集中力の無い聴衆だなと思いつつ先に進めると、先ほど声をかけて来たメンバーが青い顔で走り寄って来た。

「おい、おい、ヤバいって」

 俺の腕を引っ張る。後ろを振り返ると、スクリーンには――

 全裸で、体中から出る液体を全部出した状態の俺の男の娘が、大股をかっぴろげて悩ましく喘いでいる、ファン垂涎の一コマ。なぜかそれが大写しになっている。

 社長、各事業部の部長、課長などなどお歴々が微妙な顔をしながら鎮座する中、男性社員はおおむねドン引き、女性社員は悲鳴を上げたり喜んだりしている。俺は頭が真っ白になり、膝から崩れ落ちた。マイクが転がり、ゴロゴロと虚しい音が会場に響き渡る。

 俺の人生、終わった。

 そこから記憶がない。

 俺は気が付くと、盗んでないバイクで走りだしていた。どこに向かっているのか自分でも定かではなかったが、自動的に自宅アパートにたどり着く。これが帰巣本能というものだろうか。

 階段を駆け上がり、自分の部屋に駆け込む。ぜぇぜぇと息をつきながら、机をかき分けて、隅に放った例の段ボールを見つけ出した。震える手で箱を開け、銀色に輝く砂時計を掴んだ。

 俺の、俺の人生最大の後悔は、嫁の妊娠中に浮気したとか、ギャンブルに全財産を突っ込んだとかじゃなく、社内コンペで堂々と自分のエロ同人誌を公開したことに違いない。

 自分でもなんて惨めな後悔だと思わなくもないが、きっと今ならこの砂時計をひっくり返すことができるんだ。というか正直、今すぐ全部なかったことに出来るなら命を失っても構わない。月曜日から出社する自分が全く想像できない。

 俺は荒い息をつきながら、祈るように砂時計を握りしめ、ゆっくりとひっくり返した。
 金色の紫色のセパレートに固まっていた砂が、さらさらと流れていく。それと同時に俺の視界もぐにゃぐにゃと歪み、虹色に歪んで消えていく。

 * * *

 気が付くと、俺は自宅の床にひっくり返っていた。頭がガンガンして、吐き気がひどい。俺はすぐトイレに駆け込んでゲーゲー吐いた。落ち着いてから、砂時計は? と探すと、どういう訳か、また机の上の箱に収まっている。

 すべては夢だったのか……?

 砂時計を取り出して軽く振ってみたが、もう砂は動かなくなっていた。

 スマホを開いてみると、金曜日の18時だった。一件、同僚からLINEが来ている。心臓がドキドキと胸を打った。

『社内コンペ、さすがだったな!』

 俺は知らずに止めていた息を、ハァと吐いた。どうやら、あの悲劇は無かったことになっているらしい。いや、不思議な砂時計のおかげというよりも、過労のあまり俺が見ていた白昼夢だったのかもしれない。きっとそうだ。

 と思った時、電話がかかってくる。印刷所からだ。

 挨拶もそこそこに、印刷所の社員さんは少し焦った声でまくし立てた。

『野口さん、原稿、どうなってます? 今日の夕方までってお願いしたと思うんですけど――』

「えっ、すみません。もうとっくに送ったと思ってて。確認します」

 俺はすぐ電話を切って、PCを立ち上げデータを探した。うん、ちゃんとある。送り忘れだろか? と念のため原稿データを開いてみると、どういう訳かまだ仕上げ前の中途半端な状態だった。

 なんだよこれ……?

 俺は青くなり、他に最新のファイルが無いか探したが、一つのデータしかない。明らかに作業が巻き戻っている。

「なんだよこれ!?」

 俺は泣きそうになった。なんとか落ち着いて冷静になろうとする。

 もしかして、時間を巻き戻した代償なのだろうか。社内コンペを完璧に終わらせるためには、同人誌を犠牲にするしかないということか。

 あの悲劇の原因は多分データを取り違えだろうから、そのミスさえ直ればそれでいいのに、なんて使えない奇跡なんだ。

 俺はダメ元で印刷所の人に、あと一日だけ待ってもらえないか掛け合ったが、さすがに二度も締め切りを伸ばして、今日も時間外業務覚悟で待機していたのに、これ以上は無理だと断られた。

 そりゃそうだよな。印刷所の人は何も悪くない。俺はがっくりと肩を落とす。

 しょうがない、今回の春コミは既刊本だけでなんとかこなそう。『新刊落ちました』告知をしなければ。憂うつだが、俺の社会人人生が完全終了するよりは全然マシだと思う。

 潔く諦めて、俺は何食わぬ顔でその後も順調にエリートサラリーマン生活を満喫する。コンペの出来を気に入ったのか、今度社長が会食に連れていってくれると約束してくれた。もしかして、このまま出世コース一直線かも。さすが俺だ。

 * * *

 そして迎えた、春コミ当日。俺は自分のスペースに既刊本を並べ、手伝いを頼んだ友達と共に接客に当たった。俺の本は既刊本だけでもなかなか手に入らないので、毎回長蛇の列ができる。顔馴染もいるが、ほとんどの常連は「新刊残念でした。落とすの初めてですよね」とか「拙者だけに、拙者だけに新刊を恵んでくだされ! 後生でござる!」などと拝まれる。

 いや、嘘をついた。後者のセリフを言ってきたのは『俺侍』と名乗る活動初期からの濃いファンだけだ。彼はいつもちょんまげを垂直に結っているので、会場のどこに居ても突き出したちょんまげで居場所が分かる。

 とにかくお客さんに謝りながら接客していると、やたらガーリーな服に身を包んだ大きな目の小柄な女性が俺の前に立った。

「流星キララ先生、はじめまして!」

 と言いながら手を差し出してくる。あらら、握手会じゃないんだけどな。たまにこういう人いるんだよな。

 俺は愛想笑いをしながら握手した。彼女の手は小さくて柔らかい。

 彼女は目をキョロキョロとさせ、「あの、新刊は……?」とつぶやいた。

「あー、ごめんね。落としちゃって……」

 俺が「新刊落ちました」看板を指さすと、彼女は文字通りがっくりと肩を落とした。目がみるみる潤んでいく。おいおい、勘弁してくれよ。

「あの、私、ウサギです」
 彼女は震える声で言った。

 俺はハッとする。

 ウサギちゃんは、半年前にDMを送って来てくれたファンだった。美大生だという。ものすごく熱意を込めて俺の絵を褒めてくれたので、いい気になった俺は何度かやりとりしていた。

 新刊について聞かれたので、春コミで出すつもりだと簡単に内容を伝えるといたく喜んで、「私、実は、病気で手術しないといけなくて。来月から休学しなきゃいけないんですが、キララ先生の新刊のためにリハビリ頑張って、絶対買いに行きます! だから、その時、握手してください!」と言っていた。

 だからこそ俺は今回の新刊に力を入れていて、特に絵を美しく仕上げたかった。いつもよりページ数も少し多い。なのに、忙しすぎてすっかり忘れていた。

 俺はウサギちゃんになんと言っていいか分からず、ただ頭を下げた。

「ごめん、ガッカリさせちゃって。手術成功したんだね」

「はい、おかげさまで。サプライズにしたかったから、SNSも見てなくて……。私が勝手に楽しみにしてただけですよね。勝手にがっかりして、むしろ、すみません」

 彼女はしょんぼりと眉を下げた。

 正直、本当に申し訳ない。

 俺は会計しながら手元に一冊しかない、完売済みの既刊本もこっそり忍び込ませた。

 頭を下げながら去っていく彼女は、なんだか影を背負っていた。本当に俺なんかの本を楽しみに、そのために頑張ってリハビリして、今日来たんだろうな。

 それなのに俺は忘れてたばかりか、社内コンペにかまけてスケジュール管理もできず、原稿を落としてしまった。誰かを喜ばせることがクリエイターの社会的価値なら、俺の所業はなんだろう?

 俺は野口キミノリである前に流星キララじゃないのか。

 社内コンペに成功しても誰も喜ばないが、新刊が間に合えばきっと一人の人をを幸せにできるだろう。

 急に胸が苦しくなり、俺はイベントが終わるとすぐ自宅に戻って砂時計の前に立った。そっとその宝物を手に取る。

 もう一度戻れる保証もないし、戻った後、帰って来れる保証もない。自分の胸に「それでいいのか?」と何度も問いかけたが、答えは絶対に「それでいいんだ」だった。

「頼む、もう一度だけ。ばあちゃん、力を貸して……!」

 砂時計をひっくり返す。パチっと音を立てて一瞬揺らいだ砂が、しぶるようにぎこちなく流れ出した。

 目の前が虹色に染まり、ぐるぐると回り始める。意識が遠のいていく。

* * *

 ふと気が付くと、俺は春コミの会場で自分のスペースに立っていた。ウサギちゃんが目の前に立って、大きな目を潤ませている。

「キララ先生、私、ウサギです!」

 それから彼女は胸が膨らむのがはっきり分かるぐらい大きく息を吸い、はっきりとした声で言った。

「新刊ください!」

「あ、ああ……手術、成功したんだね。良かったよ」

 俺は無事に印刷されたらしい新刊を手に取り、彼女に渡した。
 ウサギちゃんは興奮して目を輝かせ、顔を赤らめている。宝物を見るように、俺の血と汗のにじんだ新刊を見つめている。

「これのために、リハビリ一生懸命頑張ったんです……! いつも以上に神作画! 私、これで生きていけます……!」

 彼女の顔いっぱいの笑顔につられ、俺も笑顔になった。

 これでいいんだ。仕事は結局誰がやったって同じで代えがきくけど、人の喜びに代えはきかない。俺じゃないとウサギちゃんにこの笑顔を浮かべさせられなかったはずだ。

 ウサギちゃんは何度も頭を下げながら、弾む足取りで去って行く。

 これで良かったんだ。

 イベントが終わり、自宅に帰った後、砂時計を見たが、何事もなかったかのようにそこに鎮座していた。でも、俺はそれを取り出そうとはしなかった。だってもう、俺にはもう必要ないんだ。きっとまた、必要になった時、その人の手に渡るだろう。

* * *

 三年後。

 引っ越しの準備をしている時、あの砂時計の入った箱を久しぶり見かけた。俺がじっとそれを見下ろしていると、俺のかわいい奥さんがひょっこりと覗き込む。

「先生、それなぁに?」

「ちょっと。先生はやめろって、いつも言ってるだろ」

「つい、クセで。それで、それはなぁに?」

「これはね。話すと長いんだけど。覚えてる? 俺たちが初めて会った春コミ。あの時、実はね――」

 あの砂時計が一体なんなのかは分からないけれど。

 『じいちゃんと結婚しなかったこと』を無かったことにしたばあちゃんと俺は、きっとどこか似ていて、だからこそばあちゃんは、俺にあの砂時計を残してくれたんだろうなって、今は思うんだ。


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