見出し画像

長年の呪いが解けそうな気がした時のこと

2022年のこれまでのふりかえりに、今まで書いたことのなかった個人的なポエムを書きたい気分になった。

私は子供の時から40歳の呪いというものに取り憑かれていた。自分の40歳から先の人生を想像できなくて、人生をそれまでに終わりにしなければいけないと思い込んでいたのである。理由はわからない。ただ、私が小さい頃に母親が40歳になることをひどく恐れていたことだけは覚えている。勿論彼女は生きるか死ぬかみたいな話をしていたわけはないが、私の中に何か黒い塊のようなものが残った。

2022年の上半期は本当に慌ただしかった。仕事はハードだった。自分にとっては一大事だったイベント催行があった。スピード勝負の案件に全力投球したり、悲しい意思決定を粛々とし続けないといけなかったりした。
戦闘モードだったので、忙しいということを自覚することができなくて、感情が湧いてくる心の隙間もなかった。でもそれはそれで充実していたし、間違いなく私は幸せだった。

6月に例の流行病で自宅療養することがあり、そのときに初めて自分の身体が疲れ切っていることに気づいた。1週間休んでいる間に、40歳までの残りの年数を数えた。その時まで今の仕事やコミュニティ活動をしていたいだろうかと考えた。答えは出なかった。このまま死んでいくのかという恐怖がやってきた。

夏の間にいくつか思いがけない出会いに恵まれた。私より20年、30年以上生きてきた人たちが、もがいて、その先に輝いている姿を目の当たりにした。
新しい人生のページを描こうとしている人が激しく花開いていく姿を見た。親ほどの年齢の人にあんた色っぽいわね、と言われた日には、人間讃歌じゃないか、と思った。

そうだよな。人間ってもっと欲深いもんだろ。許されるなら、あたしも自分の人生において、その先を見てみたいじゃないか。あたしにだって欲が出たのだ。

当たり前じゃないかと思われるかもしれない。でも呪いなんてそんなものだ。他人の目から見たら当たり前すぎて馬鹿げたことなのだ。そしてそれを解くのは本当に大変な期間を要することだってある。もっと欲深く生きていこうじゃないか。死ぬのはそれからだって遅くない。

40歳に呪われることをやめたら、今まで無意識に押さえつけていたやりたかったことが出てきた。たとえば1年くらい休んでしまいたいとか、大学院に行って2つ目の博士を取りたいとか、そんなこと。でもそれを望むのがもう許されているんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?