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北明翰留学日記 #4 ー身体性に関する雑感ー

大学院はオンラインで日本に住みながらパートタイムで通うという選択肢があったのかどうかを思う時,今なら明確にNoと言う.身体が物理的にここにあることが一つ私にとって大きな意味を持つように思うからだ.

現地の言葉をしゃべり,現地の水を飲み,現地で生産された肉や野菜を摂取するということはなんとも言えず不思議なことだ.別に何も変わらないような気もするし,何かが変わるような気もする.例えば,新しく生まれる体細胞はその土地で摂取したものを原料にしているわけだし,その土地の日照時間は私の体内時計に影響を及ぼすわけだし,別の言葉を喋るということはこれまでとは別の筋肉の協調を必要とする.また私もその土地の水循環や炭素循環に加わり,微々たるものだが外界に影響を及ぼしているはずである.一方,私の身体は消化した食べ物から必要な栄養素を分解してとりだし,今までと変わらない組成の体細胞を作り出して,身体の環境を一定に保とうとしている.

私という個体と世界の境界面の変化は,かなり一方的でもある.要するに世界の方が私に変化を迫っているのである.受け入れやすいこともあれば,時間がかかることもある.境界面の変化をどう捉えるかによって,別の土地で暮らすことはつらくもなれば興味深い事柄にもなりうるだろう.みようによっては,私は今までとは別の食物を消化「せねばならず」,異なる言語を用いることを「強いられ」,体内時計を調節「せざるをえない」のである.

だが一方で自分の変化に目を向ける時,いつも私は改めて生物としての自分,要するに身体を思い出す.身体は変化を吸収しようとするときだけ自分を主張しながら,ある種の平衡状態に至る.この身体の生々しさを伴う経験は高い学習効果を生む.そしてこの生々しさは物理的にそこにいることによってしか得られない.物理的にその場所にいることの価値を私はこの点に見出しているのだと思う.


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