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貧乏家庭で育った僕は、大人になって裕福な人間になれたのかもしれない。

ずっとずっと、裕福な家庭環境に憧れていた。

最新のサッカーシューズを諦め、型落ちしたセール品を与えられる度に、貧乏な家庭に生まれたことを呪った。

PlayStationが進化する度に、貧乏な家庭に生まれたことを呪った。

家族での旅行や、流行りの洋服、新品の真っ白い体操着やYシャツ。僕の倍のスピードで変わっていく友達のナイキのスニーカー。与えられるお小遣いの金額。

目に映るすべてを自分と比較した。

貧乏な家庭に生まれてしまったことを一生呪い続けるだろうと、ずっとずっと疑わなかった。

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貧乏家庭に生まれた子供は、決して塞がることのないカサブタをいくつも持っている。学校という場所は、勉強したり、友情を育んだり、大人になるだけの場所ではない。何の悪気もなくそのカサブタが刺激される場所でもある。

スマブラやドラクエ、幼い子どもの好奇心をものすごい強さで刺激するゲームが販売される度、カサブタは肥大していった。PlayStationが、PlayStation2に進化したときは、カサブタを太い木の枝でえぐられたようだった。

ゲームというカサブタが固まりかけても、すぐに他のカサブタは生まれる。部活の仲間が新発売のサッカーシューズを履いているのを見るたびに、カサブタは大きくなっていった。

終いには、ファミリーレストランに連れて行ってもらっても、高いものも頼めない体質になってしまった。朝から夕方まで働き、ご飯を作って深夜まで働きに出る母を見ていると、遠慮しない方が難しかった。そもそも外食なんか滅多になかったのだけれど。

いつの間にか、ハンバーグのグレードではなく、ライスのボリュームを増やす事が、最高の贅沢かのように表現する演技も会得してしまった。今でもその癖が抜けなくて、上司にご飯を奢ってもらう場でも、何かと言い訳をこじつけて安いものを頼もうとしてしまう。

本当はエビフライ付きのハンバーグが食べたかったけれど、図々しくこれがいい!なんて言えない大人になってしまった。別に全然いいんだけれど。

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貧乏家庭で育ったことによる、最大の弊害は結婚感の歪みかもしれない。

なぜ結婚するのか、子供を作るのか、その意味や尊さがわからないまま大人になってしまった。

だって、子供なんか産まなければ、多少は楽して贅沢に暮らすことができるんだから。

貧乏なのに、好きな人と一緒になりたいからとか、好きな人との子供を作りたいとか、子供を生みたい、育てたいとか、意味がわからなかった。

そんな強欲を経て生まれた子供は、貧乏という一生消えない呪いを発症し、それを抱えながら生きていくことになるのに。

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僕がお母さんのお腹の中に宿った、いわゆる夫婦における幸福の絶頂みたいな瞬間に、お母さんはお父さんと離婚をしたらしい。お母さんはすべての幸せの履歴を消去していて、いまでも僕はお父さんの顔や性格などを何も知らない。

この文章は、可愛そうとか、貧乏マウンティングがしたくて書いたわけではない。

食事は3回食べられていたし、塾にも通わせてもらった。部活に必要な最低限の費用や消耗品も与えられた。誕生日にはケーキとケンタッキーを食べさせてくれた。贅沢品や高価な物は許されなかったし求めなかったけれど、最低限必要なものは与えてもらって大人になった。何度も我慢を強いられたけれど、それなりに幸せだった。

世界には自分より貧乏な家庭なんていくらであると思う。日本で言えば比較的貧乏な家庭くらいだろうか。

25歳になってようやくわかり始めたけれど、女手一つで2人の男の子を育てる事がいかに難しいかをようやく理解し始めた。でも、幼かった僕はそこまで大人じゃなかったし、学校という場所は僕の欲望を絶え間なく掻き立て、大人になることや我慢することを阻害してきた。こんな状況なのに、僕はなかなか大人になれなかった。

僕は大学生になって、アルバイトで稼いだお金を自由に使えるようになった。

欲しかった服を買い、毎週のように飲み会に出かけた。稼いだお金はすぐに無くなってしまったけれど、幼少期の呪いを除去するかのように、必死にお金を使った。

でも、なんだか僕は一周遅れだった。

ほしかった服は、僕の幼少期にかっこいいと思ったもので、なんだか時代遅れな洋服が多かった。洋服を揃えるので必死な僕をよそに、裕福な同級生は新品のブランド品やかっこいいスーツを身にまとっていた。

あんなに憧れていた外食。飲み放題のお酒も乱雑に出てくるご飯もそこまで美味しいとは感じられなかった。

追いつかなきゃ追いつかなきゃ。そう思ったけれど、たった数年で約20年間貧乏家庭で育ったアドバンテージを埋めることなど、できるはずもなかったのだ。

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でも最近、貧乏というカサブタが癒え始めた。

むしろ、貧乏な家庭に生まれてよかったと思えるようになってきた。

自分の深いところまで根強く伸びていった呪いは、奇しくも¥650のビックマックセットで溶けていった。

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貧乏という呪いは一生消えないのかもしれない。

そう思っていた25歳のある日、呪いが解かれるイベントが突如マクドナルドで発生した。

イベントの発動条件は、ビックマックセットと空きっ腹だった。

僕にとってマクドナルドは、チーズバーガーやチキンクリスプを得られる場所であって、ビックマックセットはなかなか手を出せないメニューだった。

大人になってようやく、ビックマックセットを気にせずに食べられるようになったけれど、この日、集中して食したビックマックは、まるでデザートのように僕の別腹に吸い込まれって行った。

集中してビックマックセットを食べた時、貧乏家庭で育った僕は、憧れという極上のスパイスを持っていることに気がついた。貧乏家庭で育った僕は、裕福な家庭で育った同級生には決して味わうことの出来ない深い幸せを、¥650のビックマックセットからでも感じることができるということに。

有ろう事か、ビックマックと揚げたてのポテトによって、深い深い貧乏という呪いは、またたく間に解かれてしまった。

貧乏で育った過去は大人になっても消えることはないけれど、それは人よりも簡単に幸福を噛み締めることができることでもあるのだ。

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僕の人生の糧になった大好きなnoteの1つに、松井博さんの「幸福とは「現実 ー 期待値」です」というnoteがある。

幸福度 = 現実 ー 期待値で図ることができるというnoteだ。

このnoteの中にこんな一節がある。

例えば現実の年収が300万円なのに、自分は1000万円の価値があると信じていたとします。
すると 300万円-1000万円で、幸福度は -700万円とマイナスになってしまいます。仮に年収が倍の600万円になっても、幸福度はまだ -400万円です。

しかしその一方で、月4〜5万円の収入で親や兄弟まで養っている若者が案外幸せそうに暮らしていたりするのです。

なんで先進国で働く日本人よりも、貧困国の子供のほうが幸せそうに見えるのか?長いこと考えていたけれど、このnoteがとても腑に落ちた。

日本で生きる以上、一定のお金は稼がなければいけないのだけれど、期待値が低いことで現実との差分が大きくなり幸福を感じやすいのだ。

この数式とビックマックセットが一本の線に重なった時、貧乏家庭って、実はとても裕福なのかもしれないと気づいた。

貧乏家庭で育つと、デフォルトの期待値がとても低くなる。立ち食いそばで幸福を感じられないけれど、ビックマックセットや、チーズインハンバーグや、コンビニのホットスナックは、大人になったいまでも美味しいと幸福を感じることができる。

約20年間、コンプレックスだったカサブタは、その何倍も長い人生をより幸福にしてくれるお守りに変わっていった。

携帯のクーポンを開けば、憧れていた食事が更にお手頃価格になっている。あぁ現代、なんて生きやすい時代なんだ。

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大人になって、これまで抑制し続けてきた想いを開放することはいとも簡単だ。でも、いきなり高級なものを食べなくても、貧乏家庭で育った人間たちは、庶民的な食事で十分に幸福になることができる。マクドナルドや回転寿司やファミレスだって、僕たちにとってはごちそうだ。

緩やかな幸福を感じながら、少しづつ階段を登っていくことで、裕福な家庭で育った人よりも簡単に幸福を感じることができるのかもしれない。貧乏家庭で育った僕たちは、その権利を持っているのかもしれない。

一周遅れでもいいのかもしれない。ゆっくりと幼少期の憧れを取り戻していくことで、僕たちはたくさんの幸せを感じながら生きていくことができる。

貧乏家庭で育ったことも、もしかしたら悪くなかったのかもしれない。25歳。大人の入り口に立って、ようやく肥大したコンプレックスにふんぎりつけられた気がする。


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