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対話その14|ゲスト 五藤広海さん|グリーフケア・サポートについて、仏教と自殺

wish you were hereの対話その14。
久しぶりの収録でした。noteもお久しぶりです。
今回は、もりもとくんが参加しているグリーフサポートの団体とのご縁で、五藤広海さんにゲストに来ていただきました。

五藤さんは一般社団法人リヴオンの常務理事で、岐阜県にある浄土真宗本願寺派のお寺のお坊さんでもあります。
もりもとくんから五藤さんにゲストに出てもらえることになったと聞いたときは正直すごく緊張しましたが、実際にお話してみるととても気さくで楽しい方でした。
ラジオの前半ではリヴオンやグリーフサポートぎふで開催しているグリーフケア・サポートについて、後半では僧侶という立場から自殺やその遺族に関わることについてお話していただいています。

ラジオの中で、母の葬儀や法要のときのお坊さんの印象は何もないと言いましたが、本当のところ当時はどんな気持ちだったのかなぁと収録のあと色々考えました。
何度かnoteにも書きましたが、私は葬儀や法事、お墓参りといった儀式にあまり意味が感じられません。それは母が亡くなったあとの体験とそのとき自分のなかに生まれた感情が根深く残っているからかもしれません。

母が亡くなったあと、父と暮らすまでは一旦母方の祖父母の家にいましたが、その当時祖父母はとてもピリピリしていました。(五藤さんのお話を聞いて、これも祖父母のグリーフの表れなのだと気づきました。)
そのうえ祖母は世間体や礼儀作法を気にする人だったので、初めてのお通夜やお葬式、その後の法事は祖母の目を気にして子どもながらにいつもしゃんとしていなくてはいけませんでした。
母の葬儀は密葬で親戚のお坊さんを呼びましたが、母方の親戚がたくさんいるので結局大きなホールでやりました。(これは密葬なのか?)当時私は不登校で担任の先生が嫌いでしたが、その先生も告別式に来ていました。

母はいつも一人ぼっちで団地の部屋に閉じこもっていたので、母のためにそんなにたくさんの大人が集まることに驚きました。そして、ここに来て泣いてるこの人たちはどうして私たちと母を助けに来てくれなかったのだろうかと疑問に思いました。
一連の儀式がなんだかとても白々しく感じて、怒りさえ湧きました。この人たちはお葬式に乗じて悲しんでいるふりをしているんだと思いました。

周りのそんな様子を見ているうちに、私はなぜか誰にも涙を見せてはいけないと意地を張ってしまい、お葬式の間中泣くのを我慢していました。
けれど、出棺の前に棺のなかの母にお花を手向けるとき、当時5歳ぐらいだったいとこの男の子が急に泣き出したのを見て、私も泣いてしまいました。彼だけが母の死を純粋に悲しんでいるように見えました。

実際のところは、もちろんそこにいた誰もがそれぞれに心から悲しんでいたと思います。私のひねくれた心がそれを捻じ曲げていただけでしょう。
いま思い出しましたが、親戚のおばさんたちが母のために手紙を書いて棺に入れたりしていました。小さい頃の母はアルプスの少女ハイジのように可愛らしかったとみんなが口々に言っていました。
いま五藤さんが実践しておられるように、あのとき法事の場で自分の気持ちを話す機会があったなら、そして当時私がグリーフについて知っていたら、そんなふうにひねくれた自分にはなっていなかったのかもしれません。

母の死についてはそんなふうに思いますが、今回のラジオ収録を通じて、今までの人生で他にもたくさんのグリーフを経験してきたなぁと思います。
身近な人との死別も何度か経験しましたが、母の死以来、人との離別に対して感覚が鈍くなってしまっているような気もします。自分の本当の感情をあまり見ないようにしているのかもしれません。
それは死別だけではなくて、恋人や友人など大切な人との別れのときもそうです。悲しみに飲み込まれないように別れの痛みから目を背けて、早く日常に戻ろうと急ぎすぎるところがあったかもしれません。
そのときに、別れてしまった人に怒りを向けて大切な思い出をなかったことにしてしまうこともありました。

これからも大切な人と出会ったり別れたりするけれど、そのときの痛みや辛さにきちんと気付いて、よかった日々を否定せずに大切にできる自分であれたらいいなと思います。
ちょうど身近な人と別れることが最近重なったので、最近はそんなことを考えています。このタイミングで五藤さんのお話を聞けてありがたかったです。


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