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今年もさよなら

もうすぐもうすぐ、もうすぐ終わる。
すべてを台無しにしてしまいたくなる気持ちをなんとか宥めて日々を泳ぎ切り、今年もようやくこの日にたどり着いた。
2月19日、きょうは母の18回目の命日だ。

特に決めているわけではないけど、母の好物がシュークリームだったので、毎年母の命日と誕生日にはシュークリームを食べる。亡くなる直前母はチョコレートもよく食べていたけれど、抑うつ状態にある人が好んでチョコレートを食べるということを知ってからはお供え物のチョコレートを見るたび何となく複雑な気持ちになった。だから母のことを思い出すときはシュークリームを食べるようにしている。

命日の日、それ以外は特に何もしない。お墓参りにも行かない。母のお墓に行ったのは、法事のときを入れても両手で数えられるほどの回数しかないと思う。
母のお墓が行きにくい場所(立地的にも行きにくいが、親類の住職のお寺の敷地内にあるので心理的にも行きにくい)にあるということも理由の一つに挙げられるけれど、お墓に行く意義を特に感じないというのが最大の理由だと思う。

親不孝者だと思いつつ、どうしてもお墓参りに足が向かないのは、お墓や仏壇の前に佇むとき、そこに母がいるという実感がないからかもしれない。かといって、母がいつもそばで見守ってくれているような感じがするかというとそういうわけでもない。
ときどき、「お母さんはいつも天国から見守っているよ」と言ってくれる人がいるけれど、申し訳ないことにそう言われてもいまいちしっくりこない。自ら死ぬことを選んだ母が死んだあとも私たちのことを見守っているだなんて、不自然な感じすらする。
そもそも母は天国に行けたのだろうか。母が死んで間もない頃はまだ子どもだったので、自殺をした人が地獄に行くという迷信が繰り返し頭をよぎってなんとなく不安な気持ちになった。母だけは閻魔大王に見過ごしてもらえると良いのにと思っていた。

生前母は、自分が死んだらお骨を北海道の海に撒いてほしいと言っていた。母は北海道がとても好きだった。
亡くなる半年前には夏休みに北海道旅行に行くと言い出し、祖父母と大喧嘩して絶縁状態みたいになっていた。祖父母はお金のことと、母が旅先で車を運転することが心配だったらしい。
けれど母は祖父母の反対を押し切って、私たち三兄弟を北海道に連れて行ってくれた。舞鶴から苫小牧まで、生まれて初めてフェリーに乗った。レンタカーを借りて民宿みたいな安い宿を転々として、一週間ぐらい北海道にいた気がする。母は「北の国から」の大ファンだったので、富良野で聖地巡礼にしこたま付き合わされた。旅行のあと母は写真アルバムを作ってくれた。

あの頃から母はすでに死を意識していたのだろうか。母はあの旅行でおそらくほとんど全ての貯金を使い果たしてしまったはずだ(母が亡くなったあと借金がたくさん残っていたと父が言っていた)。当時は母の悪口を言う祖父母のことを疎ましく感じていたけれど、今では彼らの気持ちも理解できる。
母のお通夜の日、祖母は「こんなふうに死んでしまうなら北海道に好きなだけ行かせてやればよかった」と言って泣いていた。母の遺影は北海道の牧場を背景にして撮った写真だった。写真の中で母は子どもみたいに顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

母はいったい、どこに行ってしまったのだろうか。なんとなく、天国にも地獄にも行っていないような気がする。
生活、お金、母親としての役割、精神疾患、家族とのしがらみ、その他母を縛り付けていたあらゆるものから解放されて、いまは北海道の広大な海みたいなところにいたらいいな。

2月19日、今日という日を越えたらまた少しずつ気分が楽になっていくだろう。
歳をとるにつれて、母の姿も声もだんだんぼやけていくけれど、きっと来年もその先も毎年儀式のようにシュークリームを食べて昔のことを思い出すだろう。そして記憶のなかの母にさよならを言う。

今年もさよなら、お元気で。

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