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対話その2|自死を受け入れてきた過程について

wish you were hereの対話、2回目は私ともりもとくんがそれぞれ母の自死をどのように受け入れてきたのかということについて話しました。

今回二人で話すなかで身近な人との愛着関係の回復ということに話が行き着きました。いつも事前にテーマをざっくり決めてお互いほぼ即興で話しているので、話しているうちに思ってもいなかったところに話が帰着するのが対話のおもしろさだなぁと思っています。
一人で文章を書くときはどうしても自分の一番関心があることを切り取って書いてしまうので、会話のキャッチボールのなかで普段自分があまり注目していなかった事柄を発見し、それについて考えたり言葉にしたりするのも大切なことですね。
先日紹介した末井さんの『自殺会議』みたいな感じで、気楽にこういう対話を繰り返していたら自分のなかにある凝り固まった考え方がいい意味で揺さぶられるような気がします。

音源には入ってないですが、収録をする前にもりもとくんと今回の対話のテーマをどう伝えるかということを慎重に検討しました。(それを踏まえたうえでもりもとくんがいい感じで冒頭の説明をしてくれています。)
自死を受け入れること、そうした体験に肯定的な意味を見出すということはすごく難しいことですし、私たちは必ずしもそうすべきだとは思っていません。私自身も、母の死についてまだ受け止めきれていない部分がたくさんあります。母を亡くしてからの18年間、何度も何度もその意味を問い直し、進んだり止まったり、ときには後ろに戻ったりしながら生きてきました。これからもその繰り返しだと思います。

とはいえ、答えがないこの問いを問い直すことが全く無意味だとも思っていません。大切な人の死を肯定することができなくても、自分自身の生や存在を肯定できる可能性は無限に開かれていると思うからです。それは、今回二人で話したこと、ー自分の力でコントロールできることを増やし、自死遺族というアイデンティティ以外の部分での自己を回復することとも繋がっている気がします。

大切な人を失ったばかりでまだその体験を言葉にできない人、少しずつ前に進みはじめた人、自分も死にたいと思っている人、いろんな人がいて、問いの立て方もそれぞれだとは思いますが、問うこと自体を諦めずにいましょう。それぞれの場所で生きのびましょう。
しんどいときはwish you were hereに来てください。

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