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Q&A:誇大広告にならない表現を。制限の是非。必要な課題が”今”必要な課題なのかを判断すること
(7,102文字/個人差はありますが、約12分~17分程で読めると思います)
こんばんは。よこはま発達グループの佐々木です。
今回はオンラインゼミにご参加頂いている皆さんからお寄せいただいご質問に対して、僕なりの考え方をお伝えしていく回です。
みなさんも、自分だったらどうするのかなど考えながらお読み頂けると嬉しいです。どうぞ宜しくお願い致します。
Q:言葉は出るようになるのか
未就学のお子さんの支援をしています。保護者の方からのご質問として、「言葉が出るようになりますか?」とよく聞かれます。そうした時に、佐々木先生であれば、どのようにお返事をされますか?
A:「わからない」が誠実では?
ご質問ありがとうございます。親御さんにとってみれば、我が子に話をしてもらいたいと思うのは当たり前のことだと思いますから、ご質問したい気持ちもとてもよくわかります。
では、その時に支援者として僕がどうお返事しているかというと、「実は、僕らにもわかりません」とお答えをしています。もちろん、現在の発語の段階を考えて、多少の予測がつくことはありますが、それでも100%ではないんです。
よく「〇〇をすれば話すようになる!」というものを見かけますが、それは事実であったとしても誇大広告では?と僕は思います。なぜなら、その対応をしなかった時にどうかという検証のしようがないからです。つまり、その対応をしなくても話すようになったかもしれないし、純粋にお子さんの成長かもしれないということです。
でも、こうした議論にあまり意義はありません。なぜなら、基本的には回答の出せないものだからです(一人のお子さんに対して、それぞれの対応はできませんよね)。
だとすれば、エビデンスとしては不十分なので、意味はあるかもしれないけれども、「これをしたらか言葉が出た」「このトレーニングを受ければ言葉が出る」というのは言い過ぎではないかなと、個人的には思います。それよりも大事なことは、コミュニケーションの「土台」を作ることだと思っています。
コミュニケーションは「発信」と「受信」があります。
僕らは発信ばかりに目が向きがちですが、発信よりも「受信」が大事では?と僕は思います。なぜなら、わからないことは発信としても使えないからです。僕らは日本語を使えますが、日本語なら何でも使えるわけではなくて、「自分がわかる言葉に限る」という条件がつくはずです。
でも、時々「よくわからないままに言葉を使う」という方にお会いすることがあります。それはその方のコミュニケーションの特徴なのですが、それについては今回は割愛します(本筋と少し逸れるので)。
また、みなさんはどのような相手とコミュニケーションを取りたいと思うでしょうか?
少なくとも、「やり取りができる相手」というのはあると思います。つまり、相手が言っていることが理解できるし、自分の言うことも伝わる相手ということです。そのための手段の一つとして「言語」を使うわけですが、言語はあくまで手段の一つです。話す前に「コミュニケーションしたい」と思えることが大切だと、僕は思いますが、いかがでしょうか?
Q:制限は必要か
私は相談支援専門員の立場として働いています。ケース会議などで、今後具体的にどう支援をしていくのかをよく話し合いますが、関わる大人たちが困るような行動に対しては、制限がかかるような対応がよく議論されることを経験します。
たとえば、グループホームに入居されておられる方でも、部屋にものがあるとそれを投げてしまうことがあるので、何も物を置かないようにしようなどです。
ものがあるから投げるということなので、理屈はわかるのですが、いつもそれで良いのかモヤモヤとしてします。佐々木先生であればどのように考えられるでしょうか。
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