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OG Kobra - 80年代のカリフォルニア

大きな身体から繰り出される
ストラットとブガルーで誰もを圧倒するKobra。
以下はカリフォルニアのBoo-Yaa T.R.I.B.E.※に所属し、1980年代頃から活躍し続ける彼のインタビューです。

※Boo-Yaa T.R.I.B.E.はKobraの兄弟6人で1988年に結成され、
ダンスだけでなくラップや歌も歌うhip hopアーティストとして有名です。
80年代に日本へツアーで訪れ、人気を博しました。
また、その前身は"Blue City Strutters"として知られています。

▽このノートで主に学べること
1.Boo-Yaa T.R.I.B.E.の成り立ち
2.Kobraがダンスを始めたきっかけ
3.当時のダンサーのいろは

▽該当動画

※話す内容の順番を入れ替え・省略している場合がございます。
あらかじめご了承ください。

※プロの翻訳家ではないため、
分かりにくい表現があることもございます。ご容赦ください。

ーーーーーーー〈インタビュー〉ーーーーーーー

やあ、Kobra aka Donだ。
Boo-Yaa T.R.I.B.E.に入っているよ。

≪Boo-Yaa T.R.I.B.E.の成り立ち≫

Boo-Yah T.R.I.B.E.は
カリフォルニアのカーソン市を拠点にしていた。
もともとは"Blue City Strutters"っていうチーム名だったんだ。

Blue City Strutters結成のきっかけは、
僕の兄であるゴッドファザーが下の兄弟に
ダンスを教えたことだった。
確か1978年~1980年くらいのことだ。

そして、兄弟が大きくなるにつれて、
ラップをするグループとして再結成したのが
Boo-Yah Tribe。

参考:Boo-Yaa T.R.I.B.E. 「R.A.I.D」ミュージックビデオ

ダンススタイルはストラット、Popping、ブガルー。

僕は彼らの踊る姿にあこがれて
チームに入ったんだよ。

≪Kobraがダンスを始めたきっかけ≫

小学5年生の時だったな。

兄弟のテッドが双子を連れて
家に帰ってきた。

次の日の朝に、その双子の一人が
「ブガルーって踊りを見せてやるよ」って言って、
目の前で踊ってくれたんだ。

脚のヒットをして踊って見せた。
それだけで魅了されたよ。
「こんな風に踊りたい」ってね。(笑い)

それがブガルーに初めて出会った時だ。

≪ダンサーのメッカ、カーソンシアター≫

当時のカーソンシアターは、
人が集まる中心地みたいな場所だった。

公園では無料のランチ提供があったし、
映画館も、プールもある。
だから他の地区のダンサーも皆カーソンに来て
ダンスを踊りあった。

自分たちの地元ではやらないような、
新しい動きを知りたいって気持ちも大きかったね。

とにかく人種関係無くカーソンに来て、
バトルするっていうのが一つの慣習になっていたんだ。

地元でバトルが起こったら皆集合だ。

中にはブガルーシュリンプもいた。

色んなスタイルの奴らが
カーソンシアターに来て
踊りあっていた時代だったんだ。

≪当時のダンサーのいろは≫

当時は皆ルールに縛られず、
やりたいこと全てを
混ぜこぜにして踊っていたよ。

皆がスタイルに個性があったんだ。

出身都市によって
スタイルがバラバラだったが、
強くヒットを打ったり、
何人かとルーティンを踊るのは
共通して流行っていた時代だった。

服装に関しては、ダブルボタンのスーツや、
Dickiesのカーキスーツを着るのが普通だったね。

しっかりスーツに折り目を付けていく。
それがカルチャーだった。

背面に名前を書いたジャケットもよく着ていたな。
自分の名前を覚えてもらう手段だったんだ。

ある高校に行ってそこの奴らを
バトルで倒したら、
その高校で一番イケてる女の子に
自分のジャケットを着せる。

そうしたらまた違う高校に行って
これ繰り返していくんだ。

そうすれば、自分の名前がどんどん広まっていくだろう。
どこに行っても、
「あいつはまさか」ってコソコソ言われるようになる。

だからジャケットに自分の名前をどう書くか、
どう背面をデザインするかにとてもこだわっていた。

ーーーーーーーー〈終わり〉ーーーーーーーーー

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