違いとの向き合い方について:イスラム教における性とジェンダー倫理の再確認

訳者前書き

 この度、米国をはじめとする世界の政治情勢に鑑み、米国の著名なイスラム学者らが共同声明を発表しました。その内容は日本にも大いに関わることです。今回はその全文を翻訳しご紹介します。

本文

 過去数十年にわたって、公議に付されて来たことは様々な信仰の共同体にとって課題となっています。今日において、イスラム教の性やジェンダーに関する倫理は、近年人気のある世界観と相容れないものになっており、ムスリムたちの信仰と社会的要請との間に緊張を引き起こしています。同時に、LGBTQ的な行為、信条、あるいは代弁行為に対して難色を示せば、不寛容であるまたは偏見に満ちているなどの不当な言いがかりを付けられるようになってきています。さらに憂慮すべきことに、親権者の同意を無視し、良心の呵責に基づく反対意見を表明する機会を親達からも子供達からも奪う形で、立法や規制を通じて子供達にLGBTQ中心の価値観を植え付けようとする動きが強まってきているのです。斯くなる政策は子供に宗教的に地に足のついた性規範を教えるムスリムたる親としての独立性をして転覆せしめんとするものでありまして、以って宗教を自由に実践する憲法上の権利を侵害し、様々な信仰の共同体に対する不寛容な雰囲気を醸成するものです。

 私共は、イスラム教の多様な学派を代表する学者や説法師です。下記にございますのは、性と倫理に関するイスラム教の立場を、私共が集合的かつ超党派的に言明するものです。しばしば偏見や排除を経験する宗教的少数派の私共と致しましては、道徳的な意見の相違が不寛容もしくは暴力の煽動であるという誤解を拒絶するものであります。私共は、自分たちの信仰を表明する権利を確認するとともに、異なる信仰を持つ方々と平和的に共存する憲法上の義務を認識しております。

ムスリムの道徳観の根源

 イスラム教を体現するにあたって最も基礎的な要件は、完全に、自発的に、そして愛情を以って、完全に主に伏すことです。主曰く、

信心深き者は男であれ女であれ、アッラーとその使徒が何かを定めた時、その事柄に関して別の選択肢を持つものではない

クルアーン第33章36節より

のです。主に伏すことを通じて、私共は主のみこそが絶対的な知識と知恵を持つと宣言します。従ってこの平伏からは、道徳観の究極的な根源や根拠は、単なる理性や社会的流行ではなく、主のお導きであると結論づけるしかありません。

 ありがたいことに、イスラム教には多様な視点を容認し、さまざまな文化的な慣習に対応する豊かな法学の伝統があります。然れども、啓示において明示的に述べられている特定の原則は、イスラム教の必須要素として知られているものでありまして、宗教の最高の権威者を含むいかなる個人や機関によっても、見直しの対象にすることすらできない揺るぎ無きものであることは適任な学者達の全てが合意するところです。

そして、あなたの主の御言葉は真実と正義において成就された。変更できる者は居ない。また彼は全てを聴き、知っている

クルアーン第6章115節

と主は断じて仰せです。

性とジェンダーに関するイスラム教の立場

 天命により、性的関係は結婚の範囲内で許可され、結婚は男女間のみにおいて起こり得ることです。クルアーンで、主は同性間の性的関係を明示的に糾弾しています。(例えば:クルアーン第4章16節同第7章80〜83節同第27章55〜58節を参照のこと)さらに、イスラム教では婚前および婚外の性行為の類は禁止されています。主は説いて曰く、

また、姦通には近づくべからず。誠にそれは不道徳で非道である。

クルアーン第17章32節

イスラム教のこれらの要素はクルアーン、預言者ムハンマド様(彼に平安あれ)の教え、および14世紀にわたる連綿とした学術的伝統により判然と確立されたものです。これらのイスラム教の要素は、クルアーン、預言者ムハンマド様(彼に平安あれ)の教え、および14世紀にわたる学者たちの伝統を通じて明確に確立されています。その結果として、これらの要素は宗教的な合意(イジュマー)としての威信を得て、一般的なムスリムに知られる信仰の必須要素として認識されるに到っています。

 主は人類を男性と女性からなる存在と定義し、

汝らが互いに知るために、男性と女性から汝ら創り出し、部族と民族にした

クルアーン第49章13節より。同第53章45節も参照のこと

と宣言しました。イスラム教は男性と女性それぞれに、異なる特性と役割があるにも関わらず、およそ神の前では精神的に平等であると認めるものであります。預言者ムハンマド様(彼に平安あれ)は、女性を男性に相当する相手方と表現しました。一方で、彼(彼に平安あれ)は反対の性の外見を模倣することを明示的に糾弾しました。さらに、主は人類に対し、主の創造の叡智を尊重するように呼びかけています。(例えば:クルアーン第4章119節を参照のこと)そのため、イスラム教は一般的な規律として、いくらそれを性「適合」または「肯定」と呼ぼうとも、健康な個人の性別を変えることを目的とした医療行為を厳格に禁止します。生まれつき性器の発達異常などの、生物学的な曖昧さがある人々については、イスラム教は矯正のための治療を受けようとすることを許容しています。

 イスラム教は感情、行動、同一性を区別します。主は個人の無意識な思考や感情ではなく、言葉と行動に対して責任を負わせるのです。我々の預言者様(彼に平和あれ)が仰った通り、

誠にアッラーは我が民の胸の内で囁きたりしことをお見逃しになられたが、但しそれをしたり言ったりしない場合に限る

ブハーリーによる伝承録第2528号

のです。イスラム教では、個人の罪深い行為は彼または彼女の自己同一性を決定するものではなく、すべきものではありません。したがって、自らの罪によって分類されるレッテルに誇りを持つことはムスリムには許容されぬことです。また不正な性的関係に対するイスラム教の姿勢は、個人のプライバシーの権利を保護し促進することと密接に関連するものであることにも留意することが重要です。イスラム教は他人の私生活を詮索することを禁止し、性的行動の公開を戒めています。(クルアーン第49章12節、同第24章19節を参照のこと)

 私共は、一部の宗教団体がLGBTQのイデオロギーを包括するように宗教の教義を再解釈または見直していることを認識しています。ムスリムの共同体もそのような圧力に影響を受けています。実際に、LGBTQの肯定を支持するべくイスラム教の文献を再解釈しようとした人々も一部には居ります。これらの性規範の側面は改変不能な教義の部類に属すものであるからにして、見直しの対象とはなりませんので、私共は、斯くなる企みは神学的に擁護できないものとして断固拒絶します。

見解を持つことに関する我々の憲法上の権利

 私共は、我々の道徳規律がLGBTQ推進者の目標と衝突することを認識しています。また、彼らが平穏に生活し虐待から自由でいる憲法上の権利を承認します。ともかく、私共といたしましては、法的な報復や体系的な疎外の恐れなく、最善の方法で宗教的信念を持ち、実践し、広めるという天賦人権ならびに憲法上の権利を強調します。(クルアーン第16章125節を参照のこと)平和な共存は、合意、受容、肯定、推進、または祝福を必要としません。社会的な圧力に屈して信条に反する見解に適応するか、偏見に満ちているなどという根拠のない非難に直面するかという、選択肢にもなっていないものを拒否します。このような強迫的な最後通牒は、調和的な共存の可能性を台無しにします。
 政治家の皆様におかれましては、嫌がらせを受けることなく自由に宗教的信条を実践する憲法上の権利を保護し、信仰共同体の宗教的自由を窒息させようと目論む如何なる立法にも反対されますようお願い致します。超党派を自称致します以上、私共は宗教や党派を問わず、宗教的信念に沿って生きる信仰共同体の憲法上の権利を守り、万人に対する正義を維持する方々と協力する覚悟でございます。

我がムスリム共同体の皆様へ

 私共はムスリムの公人達に対して、我らの信仰の尊厳を護持し、イスラムを代表して誤った表明をすることを避けるよう要請します。イスラムの性やジェンダー倫理について、確立されたイスラムの教義に反する立場をイスラムに擦り付ける企みを拒絶します。主の御意志を意図的に拒絶し、拒絶を唱道し、あるいは歪曲する者に対しては、信者としての地位を危険にさらされるという宗教上の深刻な結末を、強調してもしきれないのだということを明確にしておきます。(クルアーン第6章21節を参照のこと)

 主の定めた境界を越えた欲情に悩む信徒の皆様へ:どんなに正しい人々でも罪を犯すことがあること、あらゆるムスリムはどんなに罪深いとしても、許しを得る可能性はあるのだと知りなさい。主への献身のための自制は英雄的であるとされます。その宗教的な報いは、係る困難に比例して増加します。我々の究極的な目的は、欲情より主への献身を優先し、信仰を犠牲にしないことです。私共は、理想に向かって生きるにあたって必要な力と揺るぎなき覚悟を我々に与えてくださるよう、主に祈ります。愛ある服従を通じて内なる平和と充足を見出せますように、また主が我々を最も名誉ある称号である、信徒として数えるに足ると認めてくださいますように。

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