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母とエンディングノートを書いた話


先日、実家の母にお願いしてエンディングノートを書いてもらいました。

母は私が小さい頃から愛情いっぱいに育ててくれ、今でもいつも気にかけてくれる情の深い人です。
が、最近は物忘れが少し進んでいる様子。
認知症というわけではないのですが、心配。
母は今まで終活をしたことがなかったので、思い切ってエンディングノートを書いてみたら?と提案したところ、思いもよらない反応が返ってきたのです。


エンディングノート?縁起でもない!まだ死なんし!

唐突のキツめの言葉。
これには驚きました。
しかし、このような反応を示す方が本当に多いのです。
終活やエンディングという言葉からは、死後とか墓・葬式など、死を連想せざるを得ないもの。それに加え、家族から依頼された場合は財産狙いなのか?と、卑しいもののように感じてしまいがちです。

それでももちろん、書き残してもらっていると家族はとても助かるもの。
家族が死んでほしいなどと思うわけがないのに、どうしてもマイナスイメージが付きまとってしまいます。

母とは時間をかけて、エンディングノートは自分の為に書いてほしいということを話しました。

エンディングノートに書くべきこととは

エンディングノートは残された家族が困らないために、資産や財産のこと、終末医療や介護のこと、お墓や葬式の希望などをまず書かないといけないと思われがちです。もちろん、これらも大切なこと。残された家族がこれらを知ることができないと、後々揉め事の原因になったり、深い後悔を残すことにも繋がりかねません。

でも私が一番大切にしてほしいのは、書くご本人が「過去を振り返りながら幸せだった人生を感じて、これからの人生をより満ち足りたものにする」ことなんです。

幼い頃の家族との思い出、些細だけど幸せを感じたこと、感謝したことなど、あたたかい思い出は生きる力になります。
つらい局面・困難な局面に立たされた時、そんな思い出が力をくれることがあります。まずは振り返ってみて、嬉しい・楽しい気持ちで書くことが大事なのです。

母の思いに涙

最初は嫌々だった母。
亡くなった自分の父母(私にとっては祖父母)や夫(私にとって父)のことをふり返り、あんなことがあったねとか、優しいおじいちゃんだったねなど会話しながら書き進めるうち、過去の思い出話に徐々に花が咲いていきました。いつのまにか、不機嫌だった様子もなくなり穏やかに書き進めてくれるように。

財産や健康の欄など必要書類がいる場合もあり、母には時間をかけて書いてもらいました。そして数日後、「書けた?」と私から声をかけ、見せてもらうことに。母は照れながらも渡してくれました。

そこには、私含め祖父母・母の姉妹・父・私の姉や弟に対する感謝や愛情あふれる言葉がぎっしり書かれていたのです。
これには思わず涙が。
「私の子供に生まれてきてくれてありがとう!」
その一文に、本当に救われた気がしたのです。

エンディングノートはいつ書いてもいい・何度でも書き直していい

エンディングノートは高齢の人や死期が近い人だけが書くものではありません。いつでも思い立ったら書いておく、日記のような気軽な感じが良いのではと思っています。
財産や健康状態は毎年変化するし、家族への思いもまた変化していくもの。
大切にしたい思い出も増えていくかも知れません。
ちなみに私は、記憶から消えてほしくないものを書きます。
それは若くして亡くなった友人のこと。今生きていたらなんて声かけるだろう?と想像しながら書き記します。
毎年、節目となる日(例えば誕生日や記念日など)に書き直してみるのもオススメです。
そして最も大切なことは、エンディングノートを書いたということをちゃんと家族や信頼のおける人に伝えておくことです。
誰も知らないとせっかくのノートが日の目を見ないことになってしまうかも知れません。

まとめ

エンディングノートは決して縁起の悪いものではありません。
家族が困らないようにしてあげること、そして何より自分がこれから生きていくための糧になるものであってほしい。
エンディングノートや終活がもっと一般的に、身近で普通のことになるといいなと願っています(*^^*)


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