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2023年のこと

 今年は色々あって「あとから思い出したい一年」になった気がするので、ここにまとめておきたいと思います。そもそも「吉田棒一」と名乗り始めてから十年、ドレスコーズマガジン『愛系の人類』連載開始から五年という節目の一年であり「何かイベントっぽいことがやりたい」と一月から考えていたのに何も思いつかず、まごまごしているうちにこうして十二月も終わりかけている始末。しかし振り返ると様々な良い出来事に恵まれ、結果的に記念すべき一年になったとも思う。時系列にまとめていきたい。

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第1四半期(1~3月)
■エッチな小説を読ませてもらいま賞『最高のやり方』

 今年最初に書いていたのはこれだと思う。正月に帰省した時にiPhoneで書いた。
 文学賞に応募することがあまりないのですが、この賞は「欲しい」と思った。当時、気まぐれで始めたポケモンGOにハマっていて、あとから読んだら明らかにその影響が伺える(驚くべきことに書いてる間は全然気づかなかった)。もっと「嫉妬」みたいなことが書きたかったんだけど、余裕で失敗している。年明けのマルカフェで「そもそもエッチとは何なのか」という議論があり「袋とじのようなものではないか」という回答が印象的だった。受賞者に知り合いの名前がいくつかあって「なんてエッチな人たちなんだ」と思った。

■Lil  (W)AVE『バトルオブびっくりドンキー』

 去年、musitという音楽系ZINEに短い小説をひとつ寄稿していて、そのご縁で「ファミレスをテーマにしたもの」という依頼があって書かせてもらった。ギャルが「真のパンクバンドとは何か」を巡ってびっくりドンキーでタバスコをかけ合ったりハンバーグをぶつけ合ったりする話です。WEBで読めないので他の文章より反響が少なかったけど、文学フリマ東京37で「面白かった」と言ってくれたお客さんがいて嬉しかった。書いたのは3月くらいでリリースは7月。

第2四半期(4~6月)
■NIIKEI文学賞ライトノベル部門『アッぽりけ』

■同エッセイ部門『山山』『大大木大』

 今年一番大きい出来事だった。ライトノベル部門で大賞、エッセイ部門で佳作を受賞した。生まれて初めて文学賞を受賞したことになる。締切は五月末で、ゴールデンウィークの帰省中にiPhoneで書いてた。おれはもう少し帰省に集中した方がいい。
『アッぽりけ』はかなり頑張った。地元は2004年の新潟中越地震の震源地で、当時は色々大変だったんだけど、実際に現地に足を運んでみると家族や友人たちは相変わらず図太く面白くサバサバ生きていて、その時の感じをいつか小説にしたいと思ってた。地元新潟の文学賞であり敬愛する西崎憲さんが審査員だったこともあって応募を決め「ずっと書きたかったテーマ(新潟中越地震)」を「一番得意なモチーフ(不良)」で書いたのが良かったと思っている。「純文学部門で出すかライトノベル部門で出すか」を最後まで迷って消去法でライトノベル部門に出したけど、正解だったのかは今もよくわからない。
 エッセイは『アッぽりけ』を書きながら気分転換でリラックスしながら書けたのがよかったのかも知れない。本当はショートショート部門にも出したかったけど、期日までに何も思いつかなかった。あとNIIKEI文学賞に集中したことで、締切の近い阿波しらさぎ文学賞には今年も出せなかった。阿波しらさぎは今年を最後に終了してしまったので、二度と出せなくなった。NIIKEIは来年以降も継続してどでかい賞になってくれると嬉しい。色んな人から色んなお祝いコメントをもらって本当に嬉しかった。新潟の友達は焼鳥食いながら笑ってた。

参考:NIIKEI文学賞発表(ライトノベル部門、エッセイ部門)

参考:特別審査員 西崎憲さん(作家、翻訳家)による選評

■anon press『俺太郎』

 年始に掲げた今年の目標は「小説すばるに載る」「CALL magazineに載る」「anon pressに載る」だったので、そのひとつが7月にかなった。Twitterで「載りたいなあ」と呟くたび樋口恭介さんや平大典さんから「はよ原稿送ってこいや」というプレッシャーがあり、やがてそれがDMに場所を変え、外資系企業の戦略会議のような異常なライヴ感でのやり取りを経て、本当に掲載が決まった。直前にTwitterがぶっ壊れて全然告知できなかったのも印象に残っている。
 実はiPhoneに「ひろし」というタイトルのメモがあり、そこに何年もかけて「おれは○○のひろしだから○○なんだ」という構文を1,000個くらい貯めていて(ああ、どうせおれは頭がおかしいよ)いつかそれだけで一冊の本にしたいと思っていたのですが、ここで使った。事情を知っている友達から「とうとう(ひろしを)使ったんだな」というメールがきて、邪王炎殺黒龍波かよと思った。それくらいanon pressに載りたかった。まだ使ってないひろしが沢山あるので、いつか使うかも知れない。今メモを見たら「おれはシャイニングひろしだ、輝きが違う」「あんた、若い頃のひろしにそっくり」「おれはもやしだ」とか書いてある。

第3四半期(7~9月)
■棕櫚10『10 to 10 past 10』

『棕櫚』シリーズはマルカフェから発行されている同人誌で、春ごろにマルカフェの店主? 料理人? 幕僚長? の中川マルカさんからご依頼をいただいた。ふたつ返事でOKしたものの締切直前までネタが思いつかず、お盆に帰省した時に地元の友達から聞いた話をベースにしたところサッと書けた。おれは何をしに帰省しているのだろう。「星新一賞、二連覇」の関元さんをはじめ、途轍もない肩書きの皆さんに混じって書いた。ていうか文学賞に「防衛」っていう概念あるの?
 これも不良の話なんだけど、いつもより切り口をシリアスにした。でも結局、物語の緊張感がピークに達するところでギャグを思いついてしまい、思いついてしまうとそれを書かずにはおれない性分なので、書いた。今年書いたもののなかではかなり気に入っているもののひとつ。タイトルはgajiというバンドの曲タイトルで「10時から10時10分まで」という意味も「点と点足すと点」という意味もある。

■『Twitter』

 Twitter(現X)の気に入っている自分の呟きを画面印刷して80ページ分貼りつけただけの乱暴なZINEなのですが、これが一番「吉田棒一活動、十周年」ぽい取り組みになった気がする。文学フリマ東京37で販売した。お釣りが面倒臭いから1,000円にしようと思ったんだけど『棕櫚10』が1,000円だったので、さすがにあれと同額はまずいと思って800円にした。古くからの読者を含め色んな人たちが来場してくれて、色んなコメントやプレゼントをいただいた。エミコさんの表紙の評判がとにかく良かった。

■CALL Magazine『モノリスと不良』

 CALL magazineもanon pressと同じく「載りたいなあ」と言い続けていたのですが、実際に紅坂紫さんから誘われてみるとすごく意外で「本当におれ(みたいな野蛮人)でいいのですか」みたいな気持ちになった。でも書いた。のうのうと書いた。
 やっぱり不良が書きたくて、不良を書く時は「不良から遠いもの」と組み合わせると面白いので、今回は検討の結果「モノリス」と組み合わせた。モノリスの前で不良が顰めヅラしてるだけで面白くて仕方がなく、かなり短い時間でほとんど笑いながら書いた。ご依頼をいただいたのは夏の終わり頃だったと思うけど、いつ書いたか覚えてないくらいすぐに書けた。

■第2回私立古賀裕人文学祭『スクールレポート』

 古賀裕人さんが主催している「一時間以内で書かれたもの」で競う大会。通称、古賀コン(バット)。テーマは「アメリカの入学式」だったのですが、自分は即興が苦手なんだと改めてよくわかった。風呂でiPhoneで書いたんだけど「風呂でiPhoneで書いてるなあ」という内容になった。今読んでも酷いけど、その酷さも含めて面白がってもらえるような懐の深い大会なので、普段文章とか書かない人も(むしろそういう人こそ)参加してみると面白いかも知れません。12月に第3回があったけど、後述するffeen pubとanon pressの原稿を頑張っていたので出せませんでした。

第4四半期(10~12月)
■ブンゲイファイトクラブ5『飛来』

 この時期、既にffeen pubとanon pressからご依頼をいただいていて、そっちに手が掛かりそうだったので今年は出せないと思ってたんだけど、出せた。でも正直なところ去年の『ぴっころさん』の方が込めた気合の量は多く、完成度もそういうことになっている気がする。結果は一次予選通過となった。
「よくわからない」という感想がいくつか見られたので野暮を承知で作者の思惑を少し話すと、研究所長の行為(眼鏡を舐めたり消しゴムを転がしたり)は全て円盤を呼んだり人の顔面を陥没させたりするための実験(でも誰もそれに気づいてない)なのでした。

■イグBFC4『愛』

 本戦(ブンゲイファイトクラブ5)と同じ理由で今年は出さないつもりだったんだけど、初代王者の佐川恭一さんが出されていたので「だったら出さないわけにいかねえ」みたいな気持ちに(なぜか)なって、出した。去年もそうだった。
 締切当日の早朝5時に目が覚めて突然ネタを思いついた。鼻クソのほじり過ぎで鼻腔がガサガサだったので塗り薬をもらいに耳鼻科に行った。その待合室と、帰りに寄った近所のドトールでiPhoneを使って急いで書いた。「鼻クソのほじり過ぎで行った耳鼻科の待合室とその帰りに寄ったドトールで書いてるなあ」という内容になった。第2回に続いて優勝してしまったのだけど、決勝進出者は知り合いばかりだったので誰が勝っても楽しかったと思う。

■FFEEN Vol.3『チャンピオンシップ』

 ffeen pubは今年6月に始動した新しい媒体で、旗原理沙子さん、佐川恭一さん、十三不塔さん、坂崎かおるさんといった錚々たるかつTwitterの近しいところでよくお名前を見聞きする皆さんが続々と寄稿されているのを見て「載りたい」と呟いたところ、主催の嶌山景さんから早速ご連絡をいただいた。何でもすぐに載りたい載りたい言うんじゃないよお前は、下品なんだよそういうのは! と思わなくもない。
 しかしながら、嶌山さんの『ffeen pub立ち上げの経緯』を読むと、同じ日に同じ会場でOMSBのワンマンライブを鑑賞していたことがわかり、他にもシンパシーを感じるところがあったりして、お誘いは本当にありがたかったし嬉しかった。嶌山さんからのオーダーは「物語よりも『俺太郎』とか『飯塚』とかそっち系で」というものだったので、腕によりをかけて怪文書を書いた。こういう文章を掲載してくれる媒体があることは自分にとっては本当に救いです。

■anon press 東京×Cyberpunk Tribute(仮)
 公開は来春なので多くは語りませんが、anon pressからは「おれたちは吉田棒一に物語なんて求めてねえんだ」「一文でキメろ!」「それを3,000回繰り返せ!」というオーダーがあったことだけお伝えしておきます。
 2023年末はffeen pubとanon pressの2箇所から「物語ではないもの」をオーダーされていたことになり、今はそれらを書き終えて一息ついているのですが、当然の反動として「普通の物語がサッと書きてえ~」という気分になっています。率直に言って、このふたつの怪文書と向き合った2023年10月以降は脳が溶けそうでした。

■おまけ ゆうらん古書店

 経堂にゆうらん古書店というとてもセンスの良い古本屋さんがあって、店内BGMがCharlie Megiraだったので思わず店主に話しかけたところ「ひょっとして吉田棒一さんですか?」と言われ「あうぇ、あうぇぶぇ」とか言っている間にとんとん拍子で自著を置いてもらえることになった。
「売れますかねえ」「絶対売れます、吉田さんの本は鬱に効く」とかなんとか、そんなやり取りをしながらサインをして帰ったのが12月上旬、なんだかすぐに売れてしまって既に在庫僅少とのこと。追加発注はかけているので、またサイン本を作りに行きます。
 自費出版は十年もやっているし、十年前に出した本には二十代の頃に書いた文章なども沢山載っているので、自分で読み返すと青臭くてしょうがないのですが、それで好きな書店に貢献できるなら嬉しい。

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 総じて「機会を作ってくれた皆さんに感謝」「このたびは仲間に入れていただき、ありがとうございます」としか言いようのない一年だった。いつもそう。そもそも普通のサラリーマンがドレスコーズのWEBマガジンに連載を持たせてもらっているところからしておかしい。こちらも穴をあけずになんとか十二回全部を乗り切ることができた。来年の依頼もちらほら届き始めている。本当にありがたい。
 今年は映画をあまり見れなかったけど『君たちはどう生きるか』は面白かった。本は『棕櫚10』と『ことばと vol.7』が好きだった。音楽はTHE NOVEMBERSの『THE NOVEMBERS』が素晴らしかった。最近はこればっかり聴いてる。
 一方で、今年は櫻井敦司とチバユウスケという、自分の作るものに多大な影響を与えた音楽家が二人も亡くなって悲しかった。改めてご冥福をお祈りします。まだ全然信じられないけど。そしてSNSを流れてくるパレスチナの動画や静止画を見ていると、色んな嬉しいことも全力で喜び切ることができず、その点も悲しかったし腹立たしかった。『Twitter』の売上の一部は国境なき医師団の緊急チームに寄付した。ここ数年、自分も含めた色んな人たちの当事者意識が高まっていると感じる。道半ばかも知れないけど、良いことだと思う。


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