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【第三世代フェミニストの弾薬庫】「表現規制主義者」の観点から振り返る欧州史③「伝統主義」が「国家主義」を経て「資本主義」へ

この投稿は以下の投稿の続きとなります。

ここで取り上げた図式をさらに「伝統主義→国家主義→資本主義」の流れに整理してみましょう。

「伝統主義の勝利」の時代

  • アヴィニョン教皇庁時代(1309年~1377年)…色々あったが、とにかく最終的には贅沢の限りを尽くした退廃的生活を完全粉砕に成功。よって伝統主義の勝利。

  • イタリア・ルネサンス期(14世紀~16世紀)…フィレンツェでメディチ家が贅沢三昧の退廃的生活を送った前期ルネサンス(14世紀~15世紀)と、ローマでルネサンス教皇が贅沢三昧の退廃的生活を送った盛期ルネサンス(15盛期~16世紀)は完全粉砕に成功。ヴェネツィアの商業活動が中心となった晩期ルネサンス(16世紀)こそ仕留められなかったが、大航海時代(16世紀~17世紀)到来によって欧州経済の中心が地中海沿岸から大西洋沿岸に推移すると勝手に没落。よって伝統主義の勝利。

なお、この後出版革命の影響で「解剖学の影響を受けた生々しい残虐絵を用いたパンフレット(小冊子)を用いた扇動合戦」により旧教側と新疆側の一般庶民レベルでの感情対立が急激に悪化。宗教戦争における本物の虐殺合戦に至ってしまうのです。そして戦いは次第に総力戦の様相を帯び「国体保全に十分な火力と機動力を備えた常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって賄う」主権国家体制(civitas sui iuris)がメキメキと頭角を表してきた訳ですが、残念ながらポルトガル海上帝国やスペイン帝国はこの条件を満たす事が出来ず世界史のメインストリームから脱落していったのでした。

「伝統主義の政治的敗北=国家主義の政治的勝利」過程

  • 宗教戦争(15世紀~17世紀)と大航海時代(16世紀中旬~17世紀)…新たに台頭したプロテスタント陣営をカソリック陣営は滅ぼし尽くせなかった。また大航海時代のスペインではインディオの人権問題が発生。異民族や異教徒の存在が可視化される。こうした「価値観多様化」の為にこれまでの様に「汚物は消毒だ!!」では済まなくなったので伝統主義の敗北。またヴェストファーレン条約(1648年)の最終勝者はカソリック陣営でもプロテスタント陣営でもなく「絶対主義国家」フランスとスウェーデンだったので国家主義の勝利。ただしスウェーデンは程なく大北方戦争(1700年~1721)年で敗北し、その座を帝政ロシアに明け渡す事になる。

  • 欧州絶対王政期(17世紀~18世紀)…それまで王侯貴族や高位聖職者といった(もっぱら地税生活者で構成される)伝統的インテリ・ブルジョワ・政治的エリート階層のパトロネージュに頼るしかなかった芸術家の生活手段が多少は広がる。その一方で伝統的インテリ・ブルジョワ・政治的エリート階層は独立性を失い国家への従属を強要された。よって伝統主義の廃屋、国家主義の勝利。

なお宗教戦争時代にポルトガルを併合したスペインは軍資金調達の為に新世界から莫大な量の金銀を収奪。オランダも日本との交易で得た金銀を惜しみなく投入し続けた為に結果としてハイパーインフレが起こり、(もっぱら地税生活者で構成される)伝統的インテリ・ブルジョワ・政治的エリート階層に最初の打撃を与えたという話もあります。

価格革命とは、16世紀半ば以降、メキシコ、ペルー、ボリビアなどアメリカ大陸(「新大陸」)から大量の貴金属(おもに銀)が流入したことや、かつては緩やかな結びつきであったヨーロッパ等各地の商業圏が結びついたこと(商業革命)で需要が大幅に拡大されたことで、全ヨーロッパの銀価が下落し、大幅な物価上昇(インフレーション)がみられた現象をさす。

これにより、16世紀の西ヨーロッパは資本家的な企業経営にとってはきわめて有利な状況がうまれて、好況に沸き、商工業のいっそうの発展がもたらされたが、反面、固定した地代収入に依存し、何世代にもおよぶ長期契約で土地を貸し出す伝統を有していた諸侯・騎士などの封建領主層にはまったく不利な状況となって、領主のいっそうの没落を加速した。それに対し、東ヨーロッパでは、西ヨーロッパの拡大する穀物需要に応えるために、かえって農奴制が強化され農場領主制と呼ばれる経営形態が進展した。

また、それまでの銀の主産地だった南ドイツの銀山を独占していた大富豪フッガー家や北イタリアの大商業資本の没落をもたらした。

学問への影響としては、当時、スペインのサラマンカ大学を中心に活動していた16世紀サラマンカ学派の神学者アスピルクエタやセリョリゴは、新大陸からの金銀流入と物価上昇を結びつけて捉え、今日でいう「貨幣数量説」に到達したことから、近代的経済学の先駆をなしたといわれる。

一方で、17世紀には銀流入は増えていながら価格上昇が停止することになっており、価格革命の要因全てを銀流入に当てはめるのは無理がある。川北稔は、価格革命の要因を16世紀西欧における人口急増に求めている。

上卿Wikipedia「価格革命」

「伝統主義の経済的敗北=資本主義の経済的勝利」過程

  • 産業革命の時代(18世紀~19世紀)…新興ブルジョワ階層が台頭して庶民も力をつけ新パトロン層を形成する。その一方で王侯貴族や高位生活者といった伝統的地税生活者はその上澄が新パトロン層のうち新興ブルジョワ階層に、引き上げ切れない末端が庶民層に吸収された。よって国家主義の敗北。資本主義の勝利。

  • 推理小説の成立…それまで一般人にとって不可視だった犯罪の世界を可視化する過程では適切な表現規制が重要だった。よってその部分については資本主義に対する伝統主義の勝利。すでに歴史的役割を終えたという点では伝統主義に対する資本主義の勝利。

  • 教養(成長)小説の成立…国家による中央集権化が急速に進む中、伝統的インテリ・ブルジョワ・政治的エリート階層(=旧パトロン層)の間で危機感が高まり、そこから出た叛逆者達が「神が用意した救済にあえて背を向けて滅びの道を歩むダンディズム(退廃主義)」に到達。しかし産業革命時代以降消費の主体となった新興ブルジョワ階層や庶民(=新パトロン層)は「全ての努力が報われるとは限らない」「誰もが試練を乗り越えて生き延びるとは限らない」現実を超克する成長譚を望む様になり、最終的にこちらが勝利した。よって伝統主義に対する資本主義の勝利。

  • 19世紀後半のフランスで始まった「ポルノグラフィ(売春婦文学)弾圧運動」…雑多な集団の寄せ集めに過ぎない新パトロン層上層部は、共通して守りたかった伝統的既得共通権益(不可視化された売春制度)の防衛に失敗した。皮肉にも現在のポルノグラフィ弾圧運動はこうした守旧的立場をも弾圧対象に含む様に。よって伝統主義に対する資本主義の勝利。

  • Hays Code(制定1930年、履行1934年~1960年)の時代…トーキー映画が登場し「ブルジョワ階層と庶民階層の関心空間の分離」がこれ以上不可能となった段階で伝統的パトロン階層が提示した倫理規定。1950年代まではそれなりに有効だった。よってその部分については資本主義に対する伝統主義の勝利。すでに歴史的役割を終えたという点では伝統主義に対する資本主義の勝利。

  • 「黄金の米国50年代」前後(1940年代~1960年代)…1890年代から1948年にかけてだけで生産力を五倍に爆増させたアメリカは世界経済の消費者代表としても君臨。その一方で第二次世界大戦(1939年~1945年)を戦い抜く為の挙国一致体制構築過程で(禁酒法の制定と廃止、Hays Codeの履行過程では激しく対立し互いを牽制しあった)旧移民(英国/アイルランド支配階層出身者)中心のプロテスタント勢と新移民(アイルランド被支配階層、ユダヤ系、イタリア系などの都市移住者)中心のカソリック勢が和解。両勢力が成果を競い合う形で赤狩りに続いてヒステリックな形で表現規制の嵐が吹き荒れた。映画のカラー化が重要課題となった1960年代、ハリウッドが「品行方正かつ豪勢な」スペクタル史劇大作やミュージカル大作にカラー化予算を集中する一方、「稼げるが俗悪な」怪奇映画のカラー化はハマーフィルムの様な英国に、怪獣特撮映画のカラー化は円谷プロの様な日本に任せる差別的体制を敷いたのはこの動きへの対策でもあったが、やがて大役者のスキャンダルの連発によってスペクタル史劇やミュージカル映画の人気は凋落。その一方でTVの普及やヒッピー運動や黒人公民権運動の高まりによって映画やコミックには「それを超える過激さ」が求められる様になり、これに独立系の映画会社やコミック出版社が応えた事から伝統主義は完全敗北。それまで周辺化されていた資本主義原理が勝利した。

ただし当時の反逆精神には揺り戻しが来て「(国家主義の延長線上に現れた)国際協調主義体制への(政治的穏健派が排除を免れるレベルでの)敬意の復活」という動きもあって現在に至ります。

そして…

  • 2010年代時点の結論…歴史のこの時点における最終勝者は「Breaking Bad(2008年~2013年)」や「スパルタカス(Spartacus: Blood and Sand、2010年)」や「Game of Thrones(2011年~2019年)」といったネットドラマである。よって伝統主義に対する資本主義の勝利。

こうして俯瞰してみると「国家主義なる隠れ層を経た伝統主義から資本主義への推移」なる全体像が浮かび上がってくるのです。

はてなブログにおける旧投稿の内容との突き合わせを進めましょう。

コンドルセ侯爵とオーギュスト・コントの「科学者独裁=道徳専制」主義

フランス革命期の内紛の犠牲となった「古典自由主義の父」フランス人数学者コンドルセ侯爵(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743年~1794年)は遺言ともいうべき「人間精神進歩の歴史(1792年)」の中で科学は天文学、占星学、純粋数学、神学といった人間の精神と社会活動から離れている学的領域から、やがて、文学、経済学、論理学、社会科学といった人間の行動と生活を論理的に究明する人文科学を経て、「人間の心そのもの」を扱う心理学や社会科学に到達すると書き残しました。

コンドルセ伯爵の「三段階発展説」

  • 天文学、占星学、純粋数学、神学といった人間の精神と社会活動から離れている自然科学的領域

  • 文学、経済学、論理学、社会科学といった人間の行動と生活を論理的に究明する人文科学的領域

  • 心理学や社会科学といった「人間の心そのもの」を扱う領域。

この考え方を継承したオーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte,1798年~1857年)はその精神、すなわち数理的直感に基づく「人間の最大限の解放が人類の最大限の発展につながる」なる考え方を拒絶。代替案として「(人間を律する至高の倫理規範としての)実証主義哲学」を提唱しましたが、その全体像が姿を表す事はなく、またそれを完成させようとする後継者も現れずに終わります。

オーギュスト・コントの「三段階発展説」

  • 人間は精神の変化に従って神学(想像的)-形而上学/哲学(理性的・論理的)-科学(観察、実証的)の三段階を経る。

  • 社会は軍事的(物理防御重視)-法律的(基礎的ルール重視)-産業的の三段階を経る。

またジョン・スチュワート・ミルは自由論の中でオーギュスト・コントの実証主義哲学を次のように解釈しています。

M. Comte, in particular, whose social system, as unfolded in his Système de Politique Positive, aims at establishing (though by moral more than by legal appliances) a despotism of society over the individual, surpassing anything contemplated in the political ideal of the most rigid disciplinarian among the ancient philosophers.

特にコントは『実証主義政治システム(Système de Politique Positive)』の中で述べているように、個人に対する社会の専制を(法的手段によるよりも、むしろ道徳によって)確立することを目指した。それは古代の思想家の中でも最も規律を重んじる者の政治的理想が述べた内容をさらに越えるものであった。

ジョン・スチュワート・ミル「自由論」

しかしながら、かかる巨視的かつ勇壮無限な理想論はサン=シモン(Claude Henri de Rouvroy、Comte de Saint-Simon,1760年~1825年)が「産業階級の教理問答(catechisme des Industriels,1823年〜1824年)」において開陳した三段階発展説と違って「伝統主義→国家主義→資本主義」なる人類が実際に辿ってきた進化過程合致せず、従って歴史の現時点ではA・E・ヴァン・ヴォークト「非Aの世界(The World of Null A,1948年)」「非Aの傀儡(The Pawns of Null-A/The Player of Null-A, 1956年)」やフランク・ハーバート「デューン(Dune)シリーズ(1965年~1985年)」の様な衒学的スペース・オペラ(ワイドスクリーン・バロック)に題材を提供するだけにとどまっているのです。

サン=シモンの「三段階発展説」

  • フランスの王侯貴族の先祖はノルマン人である。彼らはある日突然フランスにやってきて現地のゴール人を力ずくで支配下に置いた。とはいえ武力に加え優れた文化や技術も持っていたので、征服は必ずしも悪い側面だけではなかった。

  • しかしゴール人は慎重に全てを学びながら次第に農場経営や商業や工業の実務を握る様になっていく。遂には法律の制定や運用、所領の出納管理といった支配体制の根幹まで丸投げする様になり、ノルマン人の末裔達は単なる高級遊民となり果ててしまう。

  • そして今やゴール人の末裔達は遂にフランスの殆どを掌握する事になった。彼らこそまさに未来のフランスを担うべき産業者達(les Industriels)である。今はバラバラに分断されているが、団結さえすればこの国を手に入れられるのである。

一方、サン=シモンは自らがシャルルマーニュ大帝の末裔を自認する元大貴族(すなわちフランク人)だった事もあり、王制の存続については比較的寛容であり「産業者間の利害対立を巡る紛争の調停役として有用なら残せばいい」なる立場を表明。これを受けてやがて「馬上のサン=シモン」皇帝ナポレオン三世(在位1852年~1870年)が現れ、かかる民族史観を受容する形でフランスにおける産業革命は推進され、それがドイツ帝国(1871年~1918年)や大日本帝国(1868年~1947年)へも伝播していったのでした。

ジョン・スチュアート・ミルの古典的自由主義

ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill、1806年~1873年)は「自由論(On Liberty、1859年)の中で「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならず、権力がそれを妨げて良いのは他人に実害を与える場合だけに限定される」と述べ、この枠組みにおける階級差別や人種差別や男女差別の撤廃を主張しています。

カール・マルクス(Karl Marx、1818年~1883年)が「経済学批判(Zur Kritik der Politischen Ökonomie)」において「我々が自由意思や個性と信じ込んでるものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」と述べ、チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin 、1809年~1882年)が「種の起源(On the Origin of Species)」の中で最初に「種なる存在」を「確率論的過程を経て系統的に推移する準安定状態」と規定した「1859年革命」の一環…

そして、この流れこそがまさに同時に近代的フェミニズムの出発点ともなった訳です。

フェルディナント・ラッサールの漸進的進化仮説

「経済学批判」をパトロネージュした「社会民主主義の父」フェルディナント・ラッサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle、1825年~1864年)は暴力革命を前提とせず、社会は連続的変化があるのみと考えました。「既得権の体系全2巻(Das System der erworbenen Rechte、1861年)」に記された「私的所有」概念の段階的発展史は以下。

  • 古代に現れた政教一致体制…神殿に君臨する神官団が領土も領民も全人格的に代表する権威主義体制。経済人類学者カール・ポランニーいうところの「政治も経済も全て社会に埋め込まれている段階」であり、ラッサールはまずその登場自体を「神が領土と領民を全人格的に代表する段階からの脱却」と捉えた。神殿を破壊されても信仰を存続させるにはそれを個人単位で内面化するしかないが、それは神殿の求心力を低下させるので衰退や消滅を余儀なくされる。

  • 中世に現れた封建体制…「領主が領土と領民も全人格的に代表する農本主義的権威主義体制」や「ギルドが商業利権を全人格的に代表する商業主義的権威主義体制」。国家が生命の安全や私的所有や商売の自由を保障する様になり、特定の庇護者に依存する必要がなくなると衰退や消滅を余儀なくされる。

  • 資本主義体制…互いに個人として地主と小作人、資本家と労働者が対峙する社会。これがどういう帰結を迎えるか現段階では予想もつかないが、これまでの人類の歴史から考えてそう酷い事にはならないと信じるしかない。

弁護士だったが故の法的側面からのアプローチ。ラッサール自身は夭折してしまいますが、彼の後継者達はドイツ帝国からの相応の福祉の見返りに(収入制限選挙によって議会の議席を独占する)ブルジョワ階層と対峙する道を選択。色々あって最終的には「ドイツ社会民主党(SPD)」が誕生。

カール・マンハイムの「伝統主義+進歩主義=保守主義」論

こうした考え方を統合したのがカール・マンハイム(Karl Mannheim、1893年〜1947年)が「保守主義的思考(Das konservative Denken、1927年)」の中で展開した「伝統主義+進歩主義=保守主義」論となります。

カール・マンハイムの「伝統主義+進歩主義=保守主義」論

  • まずはあらゆる変化を嫌う伝統主義(Traditionalism)だけが実存した、その特徴は「自らを決っして意識しない植物性」「すべての個人のうちに多かれ少なかれ働いていた形式的態度」。

  • 中世的身分制が崩壊し根本志向(進歩的意欲)をその放射的構造の中心とする自己機能化(自己組織化と凝集化)が始まると、まず科学実証主義立場から現状を「可能な限り」合理的に改善しようと試みる進歩主義(Progressivism)が現れた。その特徴は「外罰的態度の一般化」。

  • 進歩主義その本質上破壊的で、しばしば「伝統への配慮」に欠けるのでこれを「可能な限り」擁護する保守主義(Conservatism)が現れた。その特徴は「内省的態度の個別化」。

しかしながら、人間の価値観はそれぞれ多種多様な評価軸で構成されている為、完全に進歩主義者の立場を貫く事も、完全に保守主義者の立場を貫く事も出来ないものです。そしてだからこそ「最大多数の最大幸福」を目指す議会制民主主義に存在意義が見出されるという次第。これはまさしく冒頭に掲げた「伝統主義→国家主義→資本主義」の三代進化論における「資本主義段階への到達」に他ならないという…

改めて「第三世代フェミニスト」の立ち位置について。

この結論に到達したのは2020年代に入ってから。そう、私がリアルタイムで第三世代フェミニストとして振る舞っていた2010年代には不思議なまでに以下の様な「第三世代フェミニストがラディカル・フェミニストとリベラル・フェミニストの双方から蛇蝎の様に嫌われ、放逐に至った理由」が上掲の「マンハイムの結論」にピッタリと重なってくる事に思い当たらなかったのでした。

  • 「夫が稼ぎ、妻が専業主婦として家事と育児を担当する家庭」と「夫も妻も稼ぎ、家事や育児を共同分担する家庭」についてそれぞれの判断を尊重する(ラディカル・フェミニストもリベラル・フェミニストも進歩主義的イデオロギーから前者を否定)。

  • LGBTQA当事者が自由に振る舞える様に「ミサンドリー(misandry=男性嫌悪)やミソジニー(Misogyny=女性嫌悪)に憑かれた「自称」同性愛者」や「あらゆる性表現を憎悪して地上から駆逐しようとする「自称」無性愛者(Asexial)」を追放(この層がリベラル・フェミニストに合流して「自分達こそLGBTQA当事者の代表」と主張して認められた事でリベラル・フェミニストと第三世代フェミニストの対立が加速)。

  • 例えば「Pink Tax反対運動」について、様々な理由からそれに乗り気でない女性を強引に動員しようとはせず、その一方で「剃刀のデザインが必ずしも男性的である必要はない」なる考え方に同意する男性層も巻き込んだ(全てを「男女間の闘争」と捉え「全女性の動員」に執着するラディカル・フェミニストの逆鱗に触れた)。

そして確かに「運動存続(=準安定正の確保)」を最優先と考える立場からすれば「(いくら封建時代的アナクロニズムと罵倒されたって)全女性を全人格的に代表し続けるスタンス」に執着し続けるリベラル・フェミニズムとラディカル・フェミニズムの立場は正しかったのです。何しろ第三世代フェミニズムは「マニ教の様にええとこどりで成功する思想はマニ教の様にアイデンティティ崩壊を起こして滅ぶ」を実践してしまった訳ですから。

しかし「政治的フェミニズム運動の時代」が既に2010年代で終わっているのに、それ以降も政治的運動として生き延び続ける事に一体どんな正当性が?

  • こうやって全体像を俯瞰すると、昨今の表現規制問題は「既に政治的経済的に敗北した伝統主義者が、せめて文化的勝利だけは獲得したいと考えて始めた文化闘争のバリエーション」とも考えられそうである。

  • その過程でマルクス主義が伝統主義に合流し、「科学者独裁構想」から「者」がとれた「科学独裁構想」が進歩主義を代表する様になって現在の「機械学習と分布意味論の時代」に突入したとも。

そういう考え方に行き当たったところで以下続報…

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