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【インターネットと政治】コロナ禍が可視化した「伝統主義者集団の復興」?

今回の出発点はこの投稿。

暇空茜氏の立候補理由については、最初期のインタビューから割とはっきりと明言されています。そう「ネット票が石丸伸二候補に集中するのを防ぎたかった」なんですよね。

このコンセプトに沿うなら「11万票の獲得は、この意図の成功を意味するか?」についての検証が必要不可欠となってきます。そして確かに「報道機関にほとんど黙殺され、地上戦(泥臭いドブ板選挙活動)抜きで勝ち取った11万票」と考えてれば、その意義はそれなりに大きいといえましょう。

とはいえ、今回の都知事選ではさらに大きな「恐るべき票田」が可視化される展開もあったのです。

上掲【インターネットと政治】「世間を規定する測度範囲は、一般人の目には捉え切れない様な緩やかな測度で変遷を続けている」?
おやおや?「ひまそらあかね」より上位に「内海聡」の名前が…

かかる「票田」は、おそらくコロナ自粛期(2020年~2023年)に形成されたのではないかと考えております。

「無限脱毛育毛ケモナー列車」なる原風景(2020年~2021年)

当時の私のはてなブログにおける過去投稿を振り返ってみましょう。

  • 2020年11月、コロナ期を特徴付ける広告自主規制のせいで電車内の車内吊り広告は、そのほとんどが脱毛・育毛広告一色となった。背景には「外出機会激減によるムダ毛処理を怠る女性の増加」「コロナ罹患の症状の一つとして発表された薄毛化への不安の高まり」を背景とする不安を煽る商法の密かな流行があったと推察される。

キティちゃんをイメージキャラクターに採用して話題となった「オンライン脱毛」のミュゼ
「終わりある脱毛」をスローガンとしたTBC
「オンライン診療による育毛治療」を標榜した湘南AGA
  • この年には劇場版「鬼滅の刃」無限列車編(2020年)の大ヒットがあったので、当時の私はこの現象を「無限脱毛育毛列車」と呼んでいる。ただし、クリスマス以降は(外出出来ない人々を狙った)書籍宣伝ラッシュが始まり、この状況が少しは緩和した。マーケティング業界においては、こうした一連の展開を「巣篭もり需要の増大」と表現する。

コロナ自粛期(2020年から2023年5月)における巣篭もり需要は、多くの業界に大きな影響を与えました。新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックにより、世界中で外出自粛やロックダウンが実施され、多くの人々が自宅での生活を余儀なくされました。これに伴い、特定の製品やサービスの需要が急増しました。以下に、巣篭もり需要の主な分野とその影響について説明します。

巣篭もり需要の主な分野

電子商取引(Eコマース):多くの人々が実店舗に行くことを避け、オンラインショッピングの利用が急増しました。アマゾンや楽天などのEコマースプラットフォームは、売上が大幅に増加しました。食品、日用品、電子機器、衣料品など、多様な商品のオンライン購入が増えました。

エンターテインメント:ストリーミングサービス:Netflix、Amazon Prime Video、Disney+などのストリーミングサービスの利用が急増しました。自宅での映画やドラマの視聴が主流となり、これらのサービスは新規登録者数と視聴時間が大幅に増加しました。

ビデオゲーム:家庭用ゲーム機(PlayStation、Xbox、Nintendo Switch)やPCゲームの売上が急増しました。特にAnimal Crossing: New Horizonsのようなソーシャルゲームが人気を博しました。

音楽ストリーミング:SpotifyやApple Musicなどの音楽ストリーミングサービスも利用者数が増加しました。

在宅勤務とリモート学習:テクノロジー:リモートワークの普及に伴い、ノートパソコン、ウェブカメラ、マイク、ヘッドセット、モニターなどのIT関連製品の需要が急増しました。

ソフトウェア:Zoom、Microsoft Teams、Google Meetなどのビデオ会議ソフトウェアの利用が爆発的に増えました。また、SlackやTrelloなどのコラボレーションツールも広く利用されるようになりました。

フィットネスと健康:自宅でのフィットネス活動が増加し、ダンベル、ヨガマット、エクササイズバイクなどのフィットネス機器の需要が高まりました。フィットネスアプリやオンラインワークアウトプログラムの利用も増えました。

料理と家庭菜園:外食を避ける傾向が強まり、自宅での料理が一般化しました。これにより、調理器具、キッチン家電、食材の需要が増加しました。
家庭菜園やDIYプロジェクトも人気が高まりました。

ペット産業:自宅にいる時間が増えたことで、ペットの飼育が増加しました。これにより、ペットフード、ペット用品、獣医サービスの需要が高まりました。

巣篭もり需要の影響

経済の変化:巣篭もり需要により、特定の業界(Eコマース、テクノロジー、エンターテインメントなど)は成長しましたが、観光、飲食、リアル店舗を中心とする業界は大きな打撃を受けました。企業はデジタル化を加速させ、新しいビジネスモデルを採用する必要に迫られました。

消費者行動の変化:オンラインショッピングやデジタルサービスの利用が一般化し、消費者行動が大きく変化しました。この傾向はパンデミック後も続くと予想されています。

社会的影響:在宅勤務やリモート学習の普及により、働き方や学び方が根本的に変わりました。これにより、ワークライフバランスや家族との時間が見直されるようになりました。

まとめ

コロナ自粛期における巣篭もり需要は、経済や社会に多大な影響を与えました。特定の製品やサービスの需要が急増し、消費者行動やビジネスモデルが大きく変わりました。これらの変化は、パンデミック後の新しい生活様式やビジネスの在り方に影響を与え続けると考えられます。

ChatGPTへの質問「コロナ自粛期(2020年~2023年5月)における巣篭もり需要について教えてください。」
  • 私の観測範囲では、こうした状況を背景にさらにプラモデル産業の中興なども確認されている。また2016年よりサービスを開始したUber Eatsが急速に市民権を得たのもまたこの時期であった。ただし当時は「コロナ自粛」の時代であり、そうした展開を報道する事すら自粛されてた 時期なのでリアルタイムにフィードバック効果を引き起こす事はなかった。

  • 当時あえて逆張りして大成功を収めたのがケモナー御用達スマホゲーム「アークナイツ(明日方舟、Arknights; 2019年~)」の日本語版サービス開始のキャンペーンであったが、その成果が発表されたのは翌2021年も後半に入ってから。マーケテぅング用語では、これまた巣篭もり需要を拾った成功例の一つとなるのだろうが、かくして電車内吊り広告の世界においてケモナー産業が思わぬ形で脱毛育毛産業と結び付けられる展開に。

ケモナー御用達スマホゲーム「アークナイツ」
  • なおコロナ自粛へのフラストレーションの高まり自体は、すでに女性ファッション分野でも路上観察されていた。例えば2021年初頭からのシフォンドレイヤースカート、(モノトーン系やアースカラー系に対抗しての)イエロー系からオレンジ系にかけてのビタミンカラーやレプラコーングリーンの流行など。そしてコロナ自粛が解除された2023年5月以降「カンブリア爆発」的大崩れが始まったが、表現自粛期に過剰適応したマスコミは、今の所この展開についてフィードバック効果を引き起こせていない。

一方、こうした世相は「かかる自粛モードに過剰適応する伝統主義者グループ」も生み出してしまった可能性が高いのです。

「破瓜期」の到来(2022年~現在)

ここでいう「破瓜」は「冬季積雪の重みに耐え続けた建造物が、その過程でボロボロとなり、春の到来による雪解けによってむしろその支えを失った事で自重を支え切れなくなり倒壊する」イメージ。

破瓜(はか)型(解体型)

破瓜型統合失調症は、最近では「解体型統合失調症」と呼ばれます。解体型統合失調症は、主に10代から20代の思春期から青年期までに発病することが多いといわれています。その名称の通り、思考が解体する(原始的な状態への退行や抑制の無さ、まとまりのない言動)ことが特徴にあげられます。症状としては、支離滅裂な会話や行動、喜怒哀楽の感情の起伏がなくなり意欲が低下してしまうなどの陰性症状がみられます。

上掲「統合失調症の症状と病型(破瓜(はか)型・緊張型・妄想型)」

上掲の2024年4月時点における投稿の発端は以下のポスト。

いわゆるツィフェミが当時ますます暴走状態に陥っていた状況が背景にあっての発言。

これについて私は上掲の展開を例示して「考現学的には広告業界がコロナ以前の多様性を取り戻してない事が問題」と指摘した訳です。

いわゆるコロナ自粛によって普通に生活する人間の摂取する平均情報量(情報エントロピー)は確実に激減。もちろんそれはコロナ危機が去るにつれ復元の傾向を見せたが「低エントロピー状態に適応した人々」がこれに抵抗する「ある種の破瓜期反応」が観測されたという話。
  • 考え方としては①ここ数年コロナ対策と経済停滞による広告の激減が継続し、②かかる殺伐とした景色に適応する人々が現れ、③緊急事態宣言明けと経済活動再開に伴う広告量復帰自体が激烈なアレルギー反応を引き起こしつつある、といった構造。おそらく①東北大震災(2011年3月11日)の影響で長年に渡って原発が停止し、②原発が停止している状況に適応する人々が現れ、③「原発の運転を再開するかもしれない」という情報だけでアレルギーを起こし、感情が制御出来ない状態に陥ってしまうメカニズムと同じ。というか、どちらも同じタイプの症状である可能性が高い。

  • そういう「対象との関係構築能力が怪しく、環境変化を引き金に感情を爆発させてしてしまう人達」の発言内容を細部まで吟味していくと、究極的には「いつでも何処でもジョン・レノンが俺の脳内に押し入ってくるんだ。これはもう殺したって正当防衛だよね」式の短絡思考に集約していく。実際には(精神医学的には薬物療法で対処する様な次元での)現実検討能力不足が諸悪の根源という訳である。
    手塚治虫「罪と罰」(1953 年)における表現様式の相克

手塚治虫「罪と罰(1953年)」。この様に単純図式化すればその短絡制が一目瞭然だが、当事者は意外と「どこで発想が飛躍してしまうか」自分では気付けなかったりする。

本人談によると、父親は妻に暴力をふるう男で、息子にも愛情がなかった。父親に怯える生活の中で、自分は寝室の壁の中に住む小人たちを支配する王であるという空想に浸るようになる。小人たちの新聞やテレビに毎日登場し、彼らのためにヒーローのようにふるまうこともあれば、癇癪を起こして彼らを殺すこともあったが、いつも小人たちは許してくれた。

再び神経過敏になって周囲とうまくいかなくなり、強迫観念から過度な飲酒と病的な浪費が始まったかと思えば、一転して節約に夢中になったり、さまざまな衝動的で暴力的な異常行動が続き、想像上の小人も再び現れるようになった。ジョン・レノンの伝記を読み、その金満生活に怒り狂い、レノン殺害計画を小人たちに話した。

妻のグロリアは、結婚して1年半後に夫がレノンを殺害したが事件後も離婚していない。夫婦でオノに対し赦しを乞う手紙を書いており、レノンとチャップマンは天国で再会すると信じており、また、ポール・マッカートニーに対し、刑務所を訪ねて現在のチャップマンに会えば、きっと彼を好きになるだろうと語ったという。この件に関し、『デイリー・メール』誌は「心がかき乱される内容」と表現。マッカートニーも「私は誰でも許せる性質だと思うが、こいつだけは許す理由が見つからない。こいつは正気を失って、取り返しのつかない事をした。そんな人間に何故、容赦の気持ちを恵んでやる必要があるのかわからない」と述べている。

上掲Wikipedia「ジョン・レノン射殺犯」マーク・チャップマン

一見全く別の事案と映りますが、その背景に「自他境界の破綻=任意の対象を告発する主体としての自分と、告発される客体としての対象の合理的な関係性構築に失敗した」状況が透けて見える点は共通しています。

  • いわゆるツィフェミと実際にTwitter(現X)で接した事がある人なら誰でも経験した事があると思うが、彼女らもまた①いきなり脊髄反射的に感情を爆発させ、攻撃性を剥き出しにして罵詈雑言をまくし立てる。②次いで「これは普通の人間なら誰でも抱いてる感情で、私個人の考えではない(共感出来ないお前らこそが異常者)」「普通の人間ならちゃんと我が身を振り返って反省して絶対に言い返してこない(そうしないお前らこそが異常者)」「立場が逆ならお前も私の様に振る舞った筈だ。それが想像出来る人間なら絶対に私を非難しない(その考え方に到達出来ないお前らこそ異常者)」なる自己弁護を無限往復するばかりである。そういえば京アニ放火事件の犯人も「被害者には申し訳ない事をした」と供述しつつ、その感情を「自分がしたのは正当防衛」と確信する感情と折り合わせる事を最後まで思いつく事はなかった。報道は「妄想に拘泥しつつも、最後には遺族に謝罪した」などとキレイにまとめてしまったが、「心の中に殺しても殺しても無制限に許してくれ続け、それどころか称賛を絶やさない便利な小人を飼っている様なもの」なる一点において、かかる人々がジョンレノン射殺犯と「陸続きの精神状態」にある事実は動かない。

もとより個人が個人単独でこのレベルの「常識からの逸脱」に到達するのは至難の技ですが、部分的にでも意見を共有する仲間が集まって集団を構成する様になれば話が変わってくるという…

ましてや雑誌へのペンネームでの投稿やSNSにおける匿名アカウントでの振る舞いとなれば自他境界はさらに曖昧なものとなってくるのです。

この手の現実拡張手段と無縁だった前近代までは伝統的地域共同体が良い意味でも悪い意味でもその問題の統制を担っており、それが貨幣経済浸透や産業革命導入によって崩壊すると、それに代わる新たな秩序を研究する分野としてフランスやドイツに社会学が勃興しました。その一方でマルクス主義の形骸化が進行した20世紀後半に台頭した「新しい社会運動」を標榜する活動家達はこうした層の政治的動員を考える「極左冒険主義」の世界に足を踏み入れてしまった感があります。

良く誤解されているが、反原発運動や女性運動、学生運動イコール「新しい社会運動」だとトゥレーヌが言っているわけではない。この点はひと括りにされることの多いクラウス・オッフェやユルゲン・ハーバマスの議論とは根本的に異なる。

それらの運動のなかに、「社会運動」の要素が存在するかどうかを検証することが重要だということを彼は強調している。実際、社会学的介入調査の結果、反原発運動や女性運動、学生運動、地域主義運動などはいずれも、全体として「社会運動」と呼べるものではなかった、というのがトゥレーヌ達の結論である。この点は日本はもちろん、世界的にも良く誤解されている。

なおこの「誤解」を受けて、トゥレーヌの議論とは別に、あるいはその提起から分かれる形で、緑の党やみどりの政治を新しい社会運動の流れに位置づける議論も存在する。

上掲Wikipedia「新しい社会運動」
  • 「各生活者の自然な直感をあえて全面肯定する政治」には、思わぬ欠陥が存在する。そう、究極的にはカール・マンハイム(Karl Mannheim,1893年~1947年)が「保守主義的思想(Das konservative Denken,1927年)」の中で指摘した「(フランス革命とナポレオン戦争の時代以降、欧州政治で主流となった)ある側面が進歩主義的で、残りの部分が保守的である様な人々の意見の擦り合わせによる合議体制」を「(過去の栄光ばかり有り難がる)伝統主義」に退行させようとする動きに屈服してしまうのである。どうしてそうならざるを得ないかというと、近代国家の根本たる法実証主義(Legal Positivism)を否定する事そのものが、そのまま中世以前の「(各集団が勝手に自分達だけが神の声に従っていると主張し、一切の調停を拒む)自然ほうの世界」への回帰を意味するからである。

この種の議論は「狂気こそが人間を権威主義体制から解放して自由をもたらす」なる立場から「狂気の歴史(Histoire de la folie à l'âge classique,1961年)を発表したミシェル・フーコー(Michel Foucault, 1926年~1984年)が「少なくとも近代医学成立以降、人類は狂気について人間を解放するどころかその個性を奪い特定の症状類型に嵌め込む拘束具と考える様になった」と気付き、全く新しい観点から「監獄の誕生(Surveiller et punir, Naissance de la prison, 1975年)」を発表した時点で終了したと思っていたのですが、案外そうでもなかった?

そんな感じで全体像が俯瞰出来た時点で以下続報…

【追伸】トランプ氏銃撃事件

マジですか…

この投稿シリーズや以下の投稿シリーズ「米国の政治的分断」も視野に入れた展開なのですが、まさか本格的説明に入る前に現実にこんな事が起こってしまうとは…以降の投稿内容に調整を入れなくてはならなくなりました。

そんな感じで改めて以下続報…

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